深い

篠原恒木

おれは定期入れを失くしたことに気付いた。出社後二時間が経過していた。どこで失くしたのだろう、とおれは明晰な頭脳で推理を始めた。会社の最寄り駅の改札口を通過したときは確かに定期入れをかざしたのであろう。覚えていないのが悲しいが、そうでなければおれはいまここにいない。
そして会社の入口を通るときにも定期入れをかざしたはずだ。これも覚えていないのがじつに悲しいが、カード状の社員証も定期入れの中に入れていて、それをピッとタッチすればタイム・カードの代わりになり、出社時刻が記録される。その様子は受付にいる警備員さんに監視されている。出社時には必ず定期入れをパネルにピッとかざさなければならないのだ。したがっていまおれがここにいるということは確かに会社の入口でピッとタッチしたはずだ。

定期入れの中に入っている社員証を会社の入口付近にあるパネルにタッチすると、その小さいパネルからは「オハヨウゴザイマス」と、機械的な女性の声がいつも聞こえてくる。その声はいつも同じだ。定期入れをバチーンと乱暴に叩きつけようが、ピッとやさしくタッチしようが、いつも同じ口調で「オハヨウゴザイマス」と言われる。もう少し感情を露わにすればいいのに、とおれは思う。乱暴な扱いを受けたときには「チッ、おはざーす」と、投げやりな口調で応えるべきだし、そっと愛でるようにタッチしたときには「うふん、おはよ」とでもささやいてくれたりしたら、もう少し印象に残るのだが、なにせ相手は機械だから、今日もあの抑揚のない「オハヨウゴザイマス」だったに違いない。したがって、タッチした記憶がまったくないのだが、無事に会社の中にいるということは定期入れをかざしたのだ。

おれは考えた。落ち着け。おれが会社の中にいるということは、すなわち捜索範囲が限定されるわけだ。おれはそのことにやや安堵を覚えつつ、捜索を開始した。会社の入口でかざしたあと、その定期入れの行方は次の三つしかない。
1. すぐさまコートのポケットに入れた
2. すぐさまバッグの中に入れた
3. 手で持って自分の席まで行き、机の上に放り投げた

まずは1のコートだ。おれはハンガーに吊るしたコートの左右ポケットを上からまさぐった。何かが入っている感触はない。念のためハンガーに吊るしたままポケットの中に手を入れてみた。やはり無い。

すると、2のバッグの中だ。ピッとかざしたあとでヒョイと入れるケースはよくある。おれはバッグの中をまずざっくりと探した。見当たらない。おれのバッグの中は樹海のようになっているので、より丁寧な捜索が必要だと思い、バッグの中身をすべて取り出し、クリア・ファイルの中に紛れ込んでいないか、本の間に挟まっていないか、すべてを丹念に調べたが、発見には至らなかった。

おれは焦り出した。あの定期入れの中には六か月定期券を兼ねているPASMOが入っている。運転免許証(ゴールドだかんな)も入っている。そして社員証カードも入っているのだ。失くすと面倒なことになる。そこでおれは思い出した。そもそもなぜ定期入れがないことに気付いたのか。それは社員証カードが今すぐ必要だったからだ。おれは片岡義男さんの最新刊『僕は珈琲』の新聞広告原稿を作っていて、その完成したラフ原稿をコピー複合機ですぐスキャニングして広告会社にメールしようとしていたのだ。ところがコピー複合機を使用するときには、いちいち社員証カードを複合機のパネルにタッチしないと作動できない仕組みになっている。一刻を争う作業だった。それが定期入れを紛失したことでスキャン、pdf化、そしてそれをメール送信、という一連の単純作業が大幅な遅延を生じている。早く見つけなければ、とおれはアタマに血がのぼり始めていた。

喫緊の問題もさることながら、PASMOと運転免許証の不在という近未来的な課題も、おれの心をかき乱した。どう考えても厄介なことになる。おれは最後の3に取り掛かった。机の上にヒョイと放り投げたのかもしれない。だが、おれの机はバッグの中と同じように樹海と化している。関東ローム層のように成因不明のまま、絶えず紙、雑誌、ファイル、新聞、筆記具、クリップ、本などが堆積し続けているのだ。おれはその山々と格闘した。捜索は山の頂上から麓へと移動した。しかし定期入れを置くとしたら机の山のいちばん上だろう。
「こんな深いところに潜っているはずはない。この層は平成時代のものだ」
 
おれは三十分で机まわりの捜索を打ち切った。もはや事態は混迷を極めていると言っていいだろう。スキャニングは一刻を争う。日延べ猶予はまかりならぬ。いますぐスキャンしてメール送信だ。そしてPASMOや運転免許はどうする。あと定期入れには何が入っていただろう。そうだ、愛する妻の若き日の写真と、我が愛犬サブ(トイ・プードル/十四歳)の若き日の写真が入っていた。どちらも大切な写真だ。

おれは捜索範囲を広げることにした。出社して二時間、おれは何をしていたか。この自分の机にずっと座っていたわけではない。思い出した。立ち寄った場所が二か所ある。ひとつは違うフロアの編集部に資料を届けに行った。もうひとつは片岡義男さんに小包を送るため、会社を出て徒歩三十秒の郵便局へ行ったではないか。だが、編集部に資料を届けるのも、郵便局に荷物を託すのにも定期入れなど不要ではないか。郵便局は会社の外だが、定期入れの中に入っている社員証カードは出社時にタッチすれば、その後の会社への出はいりは自由だ。おれが務めているカイシャはチューショー企業なので、大企業にありがちな駅の改札口のようなシステムではない。出社さえすれば、あとは顔パスで問題ない。なので普通に考えれば、郵便局に定期入れなどいちいち持参するはずがないのだ。いや、最近のおれは自分の行動に責任が取れなくなっている。ひょっとしたら無意識のうちに片手に定期入れを持って、編集部や郵便局へと徘徊したかもしれない。その可能性は捨てきれない。捜索はあらゆる可能性を否定してはいけないのだ。

まずは編集部を再訪した。おれはそこにいた人々に、おずおずと訊いた。
「このへんに定期入れがなかったかなぁ。ボッテガ・ヴェネタの茶色の定期入れ」
明らかにおずおずとはしていたが、根が見栄坊に出来ているおれは「ボッテガ・ヴェネタ」の箇所を強調して質問したのは言うまでもない。答えはノーだった。

ならば郵便局だ。財布を持って行ったのは間違いない。なぜなら窓口でさしたるトラブルもなく無事に料金を支払ったからこそ、いまここにおれがこうして存在しているわけなのだから。ただ郵便局の窓口の人の動作が緩慢だったのを覚えている。小包の縦・横・幅をメジャーで測るのがひどくのんびりしていて、なかなか料金を教えてくれなかったのが印象に残っていた。せっかちなおれはややイライラして、冷たい目をして料金を支払ったのであった。あのスローモーな窓口の人にもう一度会って、
「すみません、先程荷物をお願いした者ですが、このへんに定期入れを置きっぱなしにしていなかったでしょうか」
と訊くのも業腹だが、仕方ない。捜査に手抜かりは許されないからだ。しかしだ。財布だけではなく定期入れまで郵便局に持っていき、財布のかねで支払いを済ませ、無意味に持参した定期入れを窓口に置き忘れた。そんな馬鹿なことがあるだろうか。いや、ない。あるはずがない。だが、可能性をひとつひとつ潰していくのが捜査の基本だ。おれは郵便局まで走った。

「あいにく定期入れの遺失物届けはございませんが」
可能性の細い糸はあっけなく切れた。どうしよう。早くスキャニングをしなければ。焦りの頂点に達すると、ニンゲンとは不思議な行動をとるもので、おれは喫煙室へ出掛け、煙草に火をつけた。あえてこの不可解な行動の理由を述べれば、煙草を一本吸い終えるまでの時間、気分を鎮めて、オノレの行動をもう一度よく考えるためである。出社して二時間、おれは何をした。どこへ行った。だが、机のまわりと編集部、そして郵便局以外にはどこにも行っていないとの結論に達した。残るはただひとつ、捜査の鉄則「現場百遍」だ。すべての場所をもう一度探すしかない。

コートのポケット、パンツの左右および尻ポケット、バッグの中、机まわりを再度調べた。もう捜索から一時間以上経過していた。もうPASMOと運転免許証はあきらめた。社員証カードさえあれば、とりあえずスキャニングはできる。せめて社員証カードだけでも出てこい、とおれは願ったが、定期入れが無いのに、社員証カードだけ出てくるわけがない。

そのとき突然、おれはすべてが嫌になった。スキャニングもPASMOも運転免許証も妻の写真も愛犬のポートレートも、すべて捨て去り、このまま冬の海へ行きたくなった。冬の海なら日本海だろう。東映の映画のオープニングに出てくるような、あの岩に波打つような海を見つめるのだ。そうだ、そうしてしまおう。すべてを捨てて冬の海を見に行くのだ。スキャニングや定期券や運転免許証、妻の写真などが、我が人生においてどれほどの意味を持つというのだ。だが、おれはそこで我に返ってしまった。PASMOが無ければ冬の海にも行けないではないか。
「探すのをやめたとき 見つかることもよくある話で」
などという歌があったが、ここで捜索を打ち切るわけにはいかない。現実は井上陽水のようにはいかない。定期入れが無ければスキャニングも冬の日本海行きも叶わないのだ。
「もう何度も探したけど、もう一回だけ。現場百遍」

世にも虚しい一時間三十分だったが、おれは三回めの捜索活動に突入した。まずはすでに二回も手を突っ込んだコートのポケットを探した。今度はハンガーから外して、コートを抱えてポケットの中をまさぐった。「おや?」と感じた。コートのポケットの内部が一回め、二回めの捜索時より深いように感じたのである。二回とも手首まで入れていたのだが、今度は手首より深く、腕の一部までポケットの中まで入るではないか。そのとき、平べったい革の感触が指に伝わった。

おれはすぐさまコピー複合機へ駆け寄り、定期入れをパネルにバチンと叩きつけて、無事に送稿を終えた。徒労感と達成感と安堵感が同時に押し寄せるなかで、おれは席に戻り、定期入れの中身を検分した。社員証カード、PASMO、運転免許証を確認し、愛犬サブの写真も入っていることに安堵した。入っているはずの愛する妻の若かりし頃の写真が見当たらなかったが、それはもはやどうでもよかった。