職務質問

篠原恒木

おれは街を歩いていると、警官から職務質問をたびたび受ける。
特に渋谷は鬼門だ。JR渋谷駅の南口がいちばん危ない。
大抵の場合、警官は二人組で、
「ちょっといいですか」
と声をかけてくる。おれは、
「いくない! 全然いくない!」
と思いながらも、足を止めざるを得ない。
ここで書いておきたいのは、おれが職務質問を受けるのは真夜中に千鳥足で歩いているという状況では決してない、ということだ。そもそもおれはサケが呑めない。したがって深夜の渋谷に用などない。声をかけられるのは昼間である。白昼堂々である。
警官は十中八九、
「どちらへ行かれるのですか」
と訊く。またかよ、と思いながらもおれは、
「仕事でパルコへ向かうところです」
と、きわめて明快に答えるのだが、テキは、
「念のためそのバッグの中を拝見できますでしょうか」
と、さらに面倒くさいことを言ってくる。
ここで再び書いておきたいのは、おれのルックスにいかがわしいオーラが漂っているわけでは決してない、ということだ。確かにスーツにネクタイという格好はしていないが、奇抜の極みのようなファッションに身を包んでいるわけでもない。ドン・ファンやカサノヴァのようなオーラも身に纏っていない。ドン・ファンとカサノヴァはどう違うのかと問われたら「ヨクワカンナイ」と答えるしかないのだが、つまりはそれほど遊び人には見えないし、これまで六十一年間、これといった賞罰もなく、名もなく貧しく美しく生きてきたつもりである。賞罰の「賞」が無いのが情けないし、お世辞にも「美しく」とは言い切れない人生だが、それはおれだけの責任ではない。
ここでバッグの中身を見せる見せないという展開に持ち込むと、事態は悪化の一途をたどることになるのをおれはよく知っている。おれは何を隠そう、TV番組の『警察24時!』をついつい観てしまうクチなのだ。あの番組では持ち物検査を拒否すると、警官たちが、
「何も入っていないのなら見せてくれてもいいでしょ?」
などと言って、応援を呼び、気がつくと一人対四、五人という状況になってしまうのだ。だからおれはしぶしぶバッグを相手に渡す。驚いてしまうのは彼らの執拗さで、バッグの中に入っている財布、定期入れの中身までしらみつぶしに調べるのだ。長財布に収納してあるカード、診察券のたぐいまでいちいち抜き取って、その隙間に何か入っていないかを確認してから元に戻すことを繰り返す。
「何も入ってないよ」
おれは吐き捨てるように言う。厳密に言えば、カード、診察券などがぎっしり入っているのだから「何も入っていない」というのはおかしな話だ。つまり、この場合の「何も」とは、大麻、および覚せい剤のようなものを指すのだということは、『警察24時!』を好んで視聴しているおれにとっては常識なのだ。
ここでまたもや書いておきたいのは、おれの眼はギンギンかつランランとしているという事実はまったくない、ということだ。つまりはアチラ方面の常用者によく見受けられる眼はしていない。強いて言えばバカな眼だ。五代目古今亭志ん生の言葉を借りれば、
「こいつはバカなんです。眼を見てください。バカな眼をしてるでしょう。バカメといって味噌汁の実にしかならないんです」
というような眼だ。いや、威張ってどうする。
やがてテキはバッグをおれに返し、今度は着ているコート、パンツのポケットの中身を見せてくださいと言う。根がスタイリッシュなおれは、服のポケットが膨らんでシルエットが崩れるのを嫌う。したがって煙草とライターをコートのポケットに入れているだけだ。それらを差し出すと、警官は煙草の箱の中まで調べる。ここでようやく彼らはあきらめ、
「ご協力ありがとうございました」
と、おれに向かって言うのだが、いつものこととはいえ、腹の虫がおさまらない。
「あのさあ、あなたがたは名刺までチェックしておれの名前も把握したわけだよね? なのにおれはあなたがたの名前も知らないという、この不公平な状況は理不尽じゃない? あなたがたの名前を教えてよ。署はどこ?」
ところが、テキは必ずと言っていいほど名乗りたがらない。同じ質問を何度か繰り返したのちに、ようやく二人とも署と苗字を言うが、善良だが残忍性を秘めている市民のおれは、
「フルネームで言いなさいよ。おれのフルネームを知ったわけだから」
と追及の手をゆるめない。彼らはしぶしぶフルネームを名乗る。それを聞き出したおれは手帳にメモするふりをする。メモしたところでどうにもならないからだ。
「だいたいさぁ、なぜおれなの? なぜおれに職質をかけたの?」
警官二人組は「強権タイプ」と「懐柔タイプ」でコンビを組んでいる場合が多い。一人が居丈高で、もう一人は物腰が低いと相場が決まっているのだ。懐柔タイプのほうの警官が言う。
「いやいや、お忙しいところを恐れ入ります。最近、物騒な事案が多いものですから」
そうか、おれは物騒な存在に見えるのかと愕然としながらも、強権タイプのほうの警官に向かって問う。
「最初に声をかけたのはあなただよね。なんでおれだったの?」
強権タイプは答えを言い淀んでいたが、しつこく「なんで? ねえ、なんで?」と詰め寄ると、ついに奴は落ちた。完落ちである。
「本官のことを見たら、目を逸らしたように思ったから」
ここでおれはキレる。
「はあ? 誰もあんたのことなんて見てねぇよ。あんたなんか眼中にないよ。振り返るほどのいい男でもないだろう? そういうのを自意識過剰と言うんだよ」
強権タイプはふくれっ面をし、懐柔タイプは「まあまあ」とおれをなだめる。かくして『警察24時!』のような、
「職質のプロは怪しい男の動きを見落とさなかった! 男は覚せい剤所持の容疑で現行犯逮捕された! 悪は決して見逃さない!」
というドラマティックな展開にはまったくならず、解放されたおれはパルコに十五分遅刻し、用事を済ませると、その足で「長崎飯店」へ向かい、皿うどんに酢をドボドボとかけてガシガシと食べるのであった。