薬味とは

篠原恒木

おれは「違いのわかる男」である。
なにしろ「クワイ河マーチ」と「大脱走マーチ」と「史上最大の作戦マーチ」の三曲を、混同せず瞬時にハミングすることもできるのだ。これらの違いをすぐにわかる男はそうザラにはいない。
「クワイ河マーチ」は、タタ、タタタ、タッタッターだ。
「大脱走マーチ」は、タタ、タタータ、タタだ。
「史上最大の作戦マーチ」は、タタター、タタタ、ターターである。
こう書くと、違いがまるでわからないのがもどかしいが、とにかくおれは違いがわかる男なのだ。

おれの妻はときどき携帯電話にメールを送って来る。大概の場合、その骨子は、
「会社から帰って来る時に買い物をしてきてくれ」
というものだ。
だが、違いのわかるおれでも、彼女のメールはさっぱりわからないことがしばしばある。先日には次のようなメールが届いた。
「薬味を買ってきて」

おれは携帯電話のディスプレイを見て、途方に暮れた。
薬味とはなになのか。あまりにも具体性に欠けるではないか。
ネギなのか。三つ葉なのか。シソなのか。あるいは生姜なのか。ニンニクだって薬味と言えるだろう。ミョウガ、カイワレ大根もそうだ。角度を変えれば唐辛子やゴマ、山椒だって立派な薬味だ。

だいたい今夜、妻が作ろうとしている料理は何なのだ。それがわからなければ、薬味という、おれにとってはボンヤリとした「概念」を提示されても、どんな薬味を買って帰ればいいのかもわからないではないか。
「どんな薬味?」
と、返信メールを送ればいいじゃん、とのご意見もあるだろうが、連れ添って三十七年、妻の性格はおれがいちばんよく知っている。そんなメールを送ったら、
「薬味にどんなもあんなもこんなもないでしょっ! 少しはアタマを使いなさいよ!」
と、叱咤されるに決まっているのだ。叱咤激励という熟語があるが、この場合は叱咤のみだ。激励は一切ない。

だから、おれは考える。妻の欲している薬味について必死に推理を巡らす。電車の中でも考え続ける。結論が出ないまま、自宅の最寄り駅で降車し、スーパー・マーケットに入店するが、売り場が広すぎて、どこに何が置いてあるのかもわからず、すっかりヒルんでしまったおれは逃げるように店を出てしまう。脳内で「大脱走マーチ」が流れる。タタ、タタータ、タタ。タタ―タ、タータタタ、タタ。

おれは作戦を変更することにした。セブン・イレブンならば、販売している薬味の種類もかなり絞れるだろう。そのなかでエイヤッとばかりにひとつ選んでしまえばいい。これは我ながらいい作戦だと思った。脳内に「史上最大の作戦マーチ」が流れるなかで、おれはセブン・イレブンへと向かった。タタター、タタタ、ターター。タタター、タタタター。

店内を点検すると、今度はあまりにも選択肢の少なさに戸惑った。刻んだ白ネギと、刻んだ青ネギ、そして小さな缶に入った唐辛子と、生姜チューブくらいしか見当たらない。面倒だから全部買って帰ろうかと思ったが、そんなことをしたら、
「こんなに薬味ばかり買ってきて、どうするつもりなの!」
と、妻から罵詈雑言を浴びせられるに決まっている。この場合は罵詈だけではない。雑言もプラスされるのだ。

面倒になったおれは陳列棚から「洗わずそのまま使用できる きざみ白ねぎ・40グラム/要冷蔵」をむんずと手に取り、レジへと向かった。隣に陳列されていた「洗わずそのまま使用できる きざみ青ねぎ・40グラム/要冷蔵」が気になったが、白ネギでいいではないか、いや、もうどうだっていいではないか、と思っていたのだ。
レジで108円を支払った。ポリ袋に入れてもらおうかと思ったが、左右11センチ・天地15センチほどの小袋に入った白ネギである。わざわざかねを払ってポリ袋に入れるまでもないだろうと判断したおれは、
「レジ袋は要りません」
と、店員に告げ、店のドアを出て、小さなビニール袋に入った「洗わずそのまま使用できる きざみ白ねぎ・40グラム/要冷蔵」を、通勤用のバッグにヒョイと入れようとしたが、そのときに気付いた。

刻んだ白ネギが入っているビニール袋の表面は、ひんやりとした湿り気を帯びていたのだ。程よく冷蔵された棚に置いてあったからであろう。この袋を通勤用のバッグに入れると、あとでとても面倒なことになるかも知れない。さあ、どうする。
おれはバッグの中に「洗わずそのまま使用できる きざみ白ねぎ・40グラム/要冷蔵」を入れるのを諦め、右手の親指と人差し指で濡れた小袋をつまむように持ち、通勤用のバッグは肩から下げて、そのまま歩行することにした。

しかしながら、この姿態は明らかに傍から見れば異様な印象を与えることをおれは自覚した。根がスタイリッシュなおれは、その日もトム・ブラウンのニットシャツにアンクル・パンツをコーディネートし、通勤用のバッグも同じくトム・ブラウンのカーフ・ショルダー・バッグで寸分の隙なくキメキメにキメていた。だが、右手が問題だ。透明なビニールの小袋に入った刻み白ネギは、往来する人々から丸見えで、袋の上部には大きく「洗わずそのまま使用できる きざみ白ねぎ」と印字されている。その小袋をおれは右手の親指と人差し指でつまみながら、歩行時の手の振りに合わせてブラブラと揺らしているのだ。

おれは有料のレジ袋をケチったことを後悔したが、根が吝嗇にできているので仕方がない。そして、根が自意識過剰にもできているおれは、すれ違う人々がことごとく我が右手を不審げな顔で見やっているような気がしてきた。根が見栄っ張りにできているおれは、持っているものがセブン・イレブンで購入した108円(税込み)の刻み白ネギなのが致命的なのだと思った。これがエディアールなどで購めた細長いバゲットで、紙袋に包まれながらもバゲット上部の約五分の一が剥き出しになっているようなものだったら、右手でそれをむんずと掴みながら歩くか、あるいは無造作にバッグに入れ、バゲット上部の約四分の一がバッグから外に出ていれば完璧なルッキングではないか。

結局、おれはすれ違う人々の視線を避け、俯きながら、しかし「洗わずそのまま使用できる きざみ白ねぎ・40グラム/要冷蔵」は依然として右手でつまんだままブラブラさせて、歩を速めた。傍目からはかなり滑稽に映っていることに違いない。ふと、「クワイ河マーチ」の替え歌が俺の頭の中をよぎった。
サル、ゴリラ、チンパンジー。

帰宅したおれは台所にいた妻に右手の親指と人差し指でつまんだ「洗わずそのまま使用できる きざみ白ねぎ・40グラム/要冷蔵」を、おそるおそる見せた。
「あのぉ、薬味って、こ、これのことだよね」
おれの声はかすかに震えていた。妻は俺の指先にあるものを一瞥すると言った。
「そこに置いといて」
妻は鍋で蕎麦を茹でていた。おれの脳内では歌劇「アイーダ」の凱旋行進曲が流れ始めた。
タッタター、タタタタタ、タッタター。