賢く見せたい

篠原恒木

オノレのことを賢く見せたい。賢くないおれは常日頃そう思っている。それには「学」が必要だ。おれは勉強が大嫌いだったので、あらゆる知識が決定的に欠けている。ボキャブラリーも貧困だ。難しい漢字も読めない。だが、開き直ることもできる。「難しい漢字が読める」というのは「知識」のモンダイであり、「知能」のモンダイではないのだ。「知能はあるが知識がないだけだ」と、おれはうそぶいている。

地名が読めない。東京生まれなので、東京近郊の地名には馴染みがあるが、それ以外の地名になるとお手上げだ。
「枚方」を「まいかた」と読んで笑われたことがある。いや、だって普通は「まいかた」だろう。地理の知識がないと「ひらかた」とは読めない。だが、こういうケースはお互いさまだ。地方から上京してきたヒトが「等々力」を「とうとうりき」と読んでいるのを耳にしたときは少なからず驚いた。「我孫子」を「がそんし」、「井の頭」を「いのあたま」と読んだヒトを目の当たりにしたときはさすがに呆れた。「我孫子」を「あびこ」と一発で読めなくても、「まさか『がそんし』ではないだろうな。地名として響きがおかしいもんな」と、ある種のセンスが働くだろう、と思ったからだ。

ヒトサマのことをあげつらっている場合ではない。おれは漢字だけではなく、諺、故事成語に疎い。諺を日常会話に駆使できれば、こんなおれでも少しは賢く見えるのではないかと思うのだが、勉強が嫌いなのでいまだに諺の意味が取れないでいる。

「隗より始めよ」
この言葉を音として初めて聞いたときはワケがわからなかった。だが知識は無くてもセンスのあるおれは「貝より始めよ」ではないと判断した。まさか「ペスカトーレはムール貝から食べ始めるべし」という意味ではないだろうと思ったのだ。おれのセンスが導いた答えは「下位より始めよ」だった。成績の悪いヒトビトから頑張ることを始めなさい。これこそモノの道理ではないか。何ですか、隗って。

「他山の石とすべし」
これもまったく意味が分からなかった。こういう故事成語をちょっとした会話で使えば、相手はソンケーの眼差しでおれをうっとりと見つめるのであろうが、意味が分からないので六十四年間の人生で使ったことがない。じつに情けない。これをお読みになっているあなたは、どうか他山の石とすべし、だよ。

「論を俟たない」
なんなのだ、これは。諺ですらないのか。まあいいや。そりゃあ麻雀でリーチして一発で当たり牌が出たら「ロンを待たない」だろう。こちとらメンタンピン一発三色ドラドラ、倍満だもん。迷いなく「ロン!」だ。それにしても「俟たない」の「俟」という漢字は何ぞや。「ホコリ」に見えて仕方がない。賢いヒトにとってはそんなことは「言うに及ばず」なんだろうけどさ。

「人間万事塞翁が馬」
これに関しては何度も耳にした覚えがあるが、塞翁って誰だよといつも思ってしまう。おそらく中国のヒトなのだろうが、語感からすると「人生というものは万事、塞翁という人間が馬に変身してしまうものである」というシュールな意味に取れてしまう。

「牛に引かれて善光寺参り」
ヴィジュアルとしては思い浮かぶのだが、意味が取れない。なんとなくだが、最近のおれを例に挙げれば、
「興味のないクイーン+アダム・ランバートの東京ドーム公演のチケットを譲り受けて、気が進まないまま出かけたら、思いのほかコンサートが素晴らしくて、興奮を覚えた」
というようなことなのだろうか。いや、ちょっと違うのか。ヨクワカンナイ。

「画竜点睛を欠く」
なぜ「がりゅう」ではなく「がりょう」なのか。なぜ「晴」ではなく「睛」なのか。こいつはかなりの曲者だ。だが、おれはそれらの理由を突き止めないでいる。詰めが甘いからね。

このような塩梅なので、おれの日常会話に諺や故事成語は死ぬまで出てきそうもない。口をついて出てくるのは、好きな落語のフレーズばかりである。
「言い過ぎたけど気にするな。江戸っ子は皐月の鯉の吹き流し。口先ばかりではらわたは無しだ」
「馬鹿にするなよ。そんじょそこいらのお兄いさんとはちぃっとばかしお兄いさんの出来が違うんでぃ」
知性とは程遠い。どう考えても賢くは見えない。いっそ諺は諦めて、横文字を連発してみようかとも思ったことがある。

「KPIにコミットするためにクライアントとアライアンスを強化して、ソリューションに向けてアサップでリーチしなさい」
「エビデンスをつければアプルーバルも取れるだろう。コントラクト、なるはやでね」
「リスケはマストだな。アテンドしてよ。先方のレスポンスが気になるけど、タスク・ファーストでひとつ」
駄目だ。賢いどころか、かえって馬鹿丸出しに見える。

「リスケ」という言葉を初めて聞いたときは「利助」というヒトの名前だと思った。利助は与作の親戚に違いない。「利助も木を切る ヘイヘイホー」だ。そうなると女房ははたを織るのだ。トントントン トントントン。うーむ、どう転んでもおれは馬鹿だなあ。どうにかして賢く見せたいよぉ。
「タスク」なんて言葉も「芸は身を助く」しか知らなかった。あれ、これも諺なのかな。だとしたらこんなおれでもけっこう諺を知ってるじゃん。よし、諺博士になろう。今からでも遅くはない。「石の上にも三年」「雨垂れ石を穿つ」「臥薪嘗胆」「ローマは一日にして成らず」だ。
「三日坊主」というのもあるけどね。