へぐり(平群)のいらつめの秀歌を、
書き出してみます。 「麻都能波奈 花可受尓之毛
和我勢故我 於母敝良奈久尓 母登奈佐吉都追」、
まつのはな、花かずにしも わがせこが、
おもへらなくに、もとな さきつつ――
あなたは万葉集から、この秀歌を、
書き出しました。 夕日があかあか。 もう、
なぜ、立ち止まるのだろう、
万葉は四五〇〇首をかかえている、
世界有数のアンソロジーなのですよ。
いちいち立ち止まってはいけません。 ざっと、
読み明かして、あるいは暮れゆけば、
ぱたっと閉じて、あなたの時間へ、
帰らなければなりません。 歌集から離れて――
いらつめの恋歌は、花かずでしかない、
むかしの少女の物語ですよ。 あなたは、
あなたの恋歌に、世界への恋に、
心を尽くさなければならない、もとな(わけもなく)
(巻十七、三九四二歌。折口は〈この松の花の譬喩は、当時の譬喩としては破天荒のものであったのだろう。佳作」〉とする(口訳万葉集)。新大系を引いておこう、〈松の花を詠むのは、万葉集ではこれのみ。晩春に咲く目立たない花ではあるが、前歌の「待つ」に続けて、「松の花咲く」とは待ち続けるばかりということの譬喩であろう。「花数」は、花として数え挙げられるほどの花の意。他に例のない表現。「思へらなくに」は、「思へり」から「なくに」に続く形。万葉集では唯一の例」〉とある。平群女郎の手になる、佳作を越える傑作である。)