今年は、失くしものばかりした。失くしもの履歴をたどってゆくと、今年1年とともに来年の運勢まで占えそうだ。
はじまりは5月のオランダ行きだった。ヨーロッパへ行く際には、とりわけ注意深くを心がけていたはずだというのに、旅の終盤、白い内装が素敵な小さくも可愛らしいチューリップショップに立ち寄ってどの球根を買おうかと吟味すること1時間、レジに颯爽と向かって財布を取り出そうとしたら、ないことに気づいたのだ。みればカバンが物の見事にあいている。チューリップにすっかり気を許してしまっていたのだ。球根は妹の会計に任せた。
スマホをタクシーに忘れた! と気づいたのは、大阪出張帰りの7月のこと。スケジュールが過密で、東京駅から急いでタクシーに乗り込んで深夜近くに職場へと向かったのだ。降り立った瞬間に忘れたことに気づき、翌朝すぐに電話をしたものの、運悪く乗り込んだのは個人タクシーだった。どうやら個人タクシーの遺失物管理はタクシー運転手が自宅近くの警察署に届けることになっているらしく、届けられた先は葛飾警察署だということが判明した。都心から遠く離れて、葛飾区! 長らく東京に住んでいるというのにほぼ行ったことのないエリア。遠路はるばる押上からさらにその先の京成押上線に乗り、半日トリップで出かけ、降り立ったのは町工場がちらほら点在するなじみのない街。ひたすらに心細さしかなかったが、後日その打ち明け話をした人に、
「そのエリアには昭和スタイルの素敵な居酒屋がいくつかあるの! 連絡くれればよかったのに」
と言われ、新たな街を開拓する端緒を得たと思った。
小さい忘れ物をあげるときりがない。六本木の映画館にはいつも持ち歩いている数冊の本が入ったエコバッグを忘れ、ともに行った友人が次に映画館に立ちよったついでに訊ねてくれて、麻布警察署に届いていると教えてくれた。もはや中に入っていた本のタイトルがなんであったのか忘れていたので、受け取った際には新鮮な発見をしたものだ。それも夏のこと。いつもはビニール傘なのに久しぶりに買った晴雨兼用のお気に入りの傘を美術館に忘れたなんてこともあった。
9月、遅い夏休みをとってイタリアへ旅立つことにした。いつも思い立ってからチケットを取るまでの期間が短く、準備万端な旅なんてケースはそもそも少ないが、数日前に旅程確認などを始めたところ、なんとパスポートがない! 今から新規に発行して取り直すには日数が足りない。ことは深刻だ、ここはすべてをキャンセルしなければならないかと最悪を覚悟しながら、部屋を空っぽにする勢いで隅から隅まで探してみた。本1冊1冊をもページをめくりながら点検してみる。頭を抱えることに、忘れていた重要な何かがそこからはらりと落ちてきたりする。しかしパスポートはない。
作業途中の机の上を最後に整頓し始めたそのとき、オランダで財布をなくしたとき、遺失物申請をした保険会社の控えがあることに気づいた。蛍光ペンでなぞられた箇所が浮き上がって見える。パスポートのコピーの控えを提出、とある。ということは、最後にパスポートを使ったのはこの遺失物申請の際だろう、と記憶を手繰り寄せ、まさかとは思いつつ、コピーをしたに違いない近くのコンビニに電話をかけてみる。すると、実に平然とした声で「はい、お預かりしております」という答えが返ってきたのだ。住所が書いてあるというのに、ご近所だというのに、警察にも届け出ずコンビニに保管されていた。失くしものを補完するためにさらに大事なものを失くしていた我が愚かさに愕然としつつも、ほっとした、というのが今年のハイライトかもしれない。
実はその後、大切なアンティークの腕時計を失くして見つからずに立ち直れない、という新たな失くしものが現在進行中だ。同じく時計をなくした過去があり、大切な人との縁が切れた切れ目に起きた出来事だった。おそらく今回もそうで、その符号に驚きを隠せないのだが、まだ見つかる可能性を信じている。
今年もあと1ヶ月だ。