落花九相図

越川道夫

毎日、飽かず立ち枯れてゆく西洋鬼薊を見にいく。
立ち枯れていく植物の姿が好きだと言うことは前回書いた。花が咲いた後枯れたものは、それでも白い綿毛となる種子をいっぱいにつけ、蓬髪とでも言うように萼の部分を金色に開きながら枯れている。しかし、本来であるならば風に煽られ飛んでいくはずの綿毛は、ついに飛散することはない。雨が降り、ひどく寒い日があるかと思えば、奇妙に暑い日がある。そんな日日が過ぎる中で、太陽を思わせるような形を見せていたその薊の頭も、縮れ、捩れ、やがて、ゆっくりと地面に向かって倒れ始めた。尖った葉も、触れればその鋭さは相変わらず指先を刺すものの、もう乾き切ってバリバリと砕けてゆく。
そんな姿を見ながら、ふとある画家のひとが書いたエッセイの一節を思い出していた。確か、その画家は若い頃、太平洋戦争の最中学徒動員で軍隊に応召された。戦地で病を得て、帰国し終戦。そのうちに母親の縁つづきの女性が満州から戻ってくる。彼が幼い恋というような感情を抱いた女性である。彼女は結婚し、夫と赤ん坊とハルビンにいた。夫は終戦間近に兵隊にとられ、彼女は子供を背中にくくりつけて逃げた。逃げている途中赤ん坊の鳴き声がしなくなったことに気づき、背中から下ろすと赤ん坊はすでに死んでいた。背中から下ろす時に、子供の皮膚がひっついて剥がれたのだと言う。彼女は衰弱していた。ただじっと上を向いて目を開き、体を横たえていた。「この家に辿りついたことで、力はもう尽きていたのかもしれない」とその画家は書く。
 
「洗われたような美しい顔になっている。ああこんな顔になってはいけない。」(野見山暁治「一本の線」)
 
エッセイのこの部分を、私は「人はこのように美しい姿になってはいけない」と覚えていた。この文章の別の箇所で画家は、病で死んでいく同じ画家・今西の姿を「次第に声もかすれてきた。表情をもちえなくなった骨格だけの今西さんを美しいと思い、その気持ちを打ち消すことに懸命になった。」と書いている。
 
春になり、路肩の菫が咲くことになると、それまで溢れるように咲いていた椿が花を木の足元に落とし始める。椿の花は、花びらを散らすのではなく、花ごと落ちる。そして、堆く積もっていく。積もった花は、落ちた順に下から色を失い、茶色に朽ちていくのだ。やはり花ごと。その有様は凄惨だが、ひどく美しい。特に乙女椿と言うのだろうか淡いピンクの椿が、朽ちて茶色になっている。やがて花はバラバラとなり、花としての体をなさなくなる。その上にまた新たに花が丸ごと落ちるのだ。その花の一つ一つを撮った写真を見ながら、まるで九相図のようだ、と思う。そこには、さまざまな段階に朽ちた花が、それぞれの有り様で写っている。そのどれものがかけがえのないものであり、だからこそ美しい。
 
人間の屍がときの推移につれて朽ち果てていく様を九段階に分け、その様を描いたものを「九相図」と言う。これは、人の屍を凝視し観想することによって自他の肉体への執着を滅却する、九相観と言う仏教の修行に由来するといわれている。執着が滅却できるかはさておき、私がこの図に惹かれているのは確かである。『閑居友』などには、修行のために夜な夜な墓場に出かけ、爛れた屍を見つめて声を上げて泣きながら無情を悟ろうと修行をする僧の姿が書かれているが、読みながら考えが横滑りしてしまう。もちろん僧は修行のためにそうするのだろうが、なぜ「その屍」の前に座り、見つめ、声を上げて泣こうとしたろうか、と。そうしようとした「屍」が、なぜ「その屍」であり、「あの屍」ではなかったのだろうか、と。もしかすると、その僧は、「その屍」を美しいと思ったのではないか、と。「その屍」が愛しいものと思ったからではないか、と。
 
「美しい」と思うことは、「愛しい」と思うことなのかもしれない。