名前を変える

植松眞人

 姓名判断が出来るという人に、ひとつ見てもらおうとわざわざ出かけていく。互いに頭を下げて「よろしく」などと挨拶をするのだが、なんとなく向こうのほうが、階段で言うと一段か二段ほど高いところにいるような顔をしている。
 挨拶が終わると、話すこともないので、さっそくとこちらの名前を相手が聞いて、相手がそれを半紙にさらさらと墨で書く。書かれた文字はなかなかの達筆で、ほほう俺の名前はなかなか良い字面をしていると思って口元が緩む。それを相手が察知したのか、ふむふむなどと声にならない声を発して、ちらりとこちらを見たりする。
 さあ、どうなんだ、とじっと相手を見るが、相手は朱色の筆に持ち替えて、ふむふむを続けている。やがて、本当に黙り込むとこちらも何事かと相手の朱色の筆先を見つめる。見つめながら、子どもの頃に怪我をしたのは名前が悪いからかとか、免許を取った頃に起こした事故はどうなんだとか、結婚して三十年を超えたけれど毎年のように家族に小さな波乱が起こるのももしかしたら、などと考え始め心が落ち着かない。
 こちらがそんな気持ちなのは、いつものことと思っている癖に相手の筆はなかなか動かずイライラしてきて、もう占ってなどもららわなくても、と声に出かかった瞬間に相手の筆がさらさらと動き始める。姓と名にわけて朱の線を引き、そこに数字が書き入れられ、漢字ごとに何やら小さな数字や丸やらバツやらが入り、あっという間に半紙が朱に染まる。

そしてやにわに、全体的に運勢は悪くないと相手が言う。ほほう、そうですか、とこちらが答える。悪くないと言われるとまんざらでもない。ただ、相手が続けて、悪くはないがお金はたまりませんね、と笑われるのは困る。なぜたくさん入ってくるのに貯まらないのかと聞くと、入ってくる以上に出ていくから、とこれまた当たり前のことを言われてしまう。なんだか悔しい気持ちになって、その後言われたことはあまり覚えていない。そして、なぜ悔しい気持ちになったのかと言えば、相手が言った通りで、これまで大金を稼ぐことは多々あったのに、それ以上に病気だトラブルだ訴訟だと予期せぬことで稼いだ以上の大金が出ていってしまったからだ。
 なんとなくそんな人生だとは思っていたが、姓名判断を商売にもしていない趣味人に朱色で言われると穏やかな気持ちではおられなかった。それでもご家族、特にお子さんたちは幸せな人生を送るはずと言われたことを救いに、なんだか還暦を超えた人生に烙印を押されたような気持ちになってしまう。さらにその趣味人がこちら参考までに、と別の半紙にさらさらと書き記したのは、こちらの生年月日も鑑みて考えてくれたと言う、運勢の良い名前らしい。これはサービスでご参考までにとは言うが、今度はその名前が気になって仕方がない。苗字は同じで下の名が少し違う。この名前なら金が貯まると言う。
 相手にこちらの動揺を感じられないようにと、ではまたなどと、次などあるものかと思いつつ言い合って辞した翌日。三十数年寄り添った家人とたまに行くチェーンのレストランで遅い朝食を摂る機会があったのだが数組の待ちがあった。待合には待機リストの用紙があり、そこに新しい名前を書いてみると、隣で覗き込んでいた家人が、あらいい名前、と言った。