言葉と本が行ったり来たり(1)『自由への手紙』

長谷部千彩

 八巻さん、こんにちは。
 今日は生憎の曇り。衆院選の投票日です。
 私は昨日のうちに投票を済ませました。午後、青山で探検家角幡唯介さんの講演を聴き、その足で散歩がてら投票所である区民センターまで歩いたのですが、いいお天気だし、赤坂御所の緑を横目に、とても気持ちが良かったです。土曜のためか、期日前投票だというのに会場の入り口には行列ができていました。

 選挙というと思い出すのは、幼い頃、両親の投票にお供させられたことです。
 小学校の廊下に、土足で入れるよう、緑色の養生シートが貼ってあって、その日だけは子供たちの姿は消え、ひっそりした校内に大人しかいない。それが普段と違う雰囲気を醸し出していて、学校の隠された顔を見るようでドキドキしたのをよく覚えています。

 いま考えると、両親は――というよりも母の判断に違いないのですが、幼いうちから子供達に、選挙に行く姿を見せておきたかったのだと思います。母親になった妹も、子供が幼稚園児のときから投票に連れて行ったりしていたけれど、たぶんそれも同じ理由でしょう。
 私の兄弟が「選挙は欠かさず行く派」なのは、きっとその経験が影響しているのでは、と思います。

 だからと言って、母がそういったことを、「教育」として私たちに施したわけではないのです。
 ただ、毎日じっくり新聞を読むひとで、家事の合間に、畳の上に拡げたそれに正座して目を通す姿(母にとってはそれが楽な姿勢だった)――うつむいた首の角度や背中の丸み、体を支えるためについた片腕、右側に寄った重心、時折ひそめる眉、気まぐれにやってきて、その体に甘えてもたれる小さな弟、そこに差す陽光までも、幼い頃、目にしていた記憶が私の中に焼き付いていて、いま私は新聞をタブレットで読むので、大抵ベッドに寝転んでのことですが、そして母ほど熱心にではないけれど、新聞を読むのは私にとってごく自然な日常の行為です。
 だから、選挙に行くのも面倒と感じないし、票を投じるひとを選ぶのも迷わない。それは、親の習慣を抵抗なく引き継いだだけ、といえるかもしれません。
 なぜ、そんなところまで話を拡げたかというと、「子供の教育」というものについて、最近モヤモヤと考えていることがあるからです。もう少しまとまったら、八巻さんへのお手紙にも書きますね。

 さて、面白かった本を教え合いましょうというお約束、私が選ぶのはオードリー・タンの『自由への手紙』です。「台湾の最年少デジタル大臣が日本の若き世代に贈る、あなたが新しい社会をつくるための17通の手紙」と帯にあって、いやらしいビジネス本みたいですけど、というか、章立てもビジネス本仕様なのですが、読み進めていくと台湾の政策の数々が紹介されている興味深い本でした(台湾の政策研究の講義があれば受けてみたいと思った)。
 例えば、台湾はアジアで初めて同性婚を認めましたが、どのように理論を組み立てて合法化させたかなんて、同じ家父長制の文化を持つ国として参考になる内容です。
他にもコロナ対策、ジェンダー問題、ハンコ問題(ハンコ問題はハンコではなく紙の問題という指摘もユニーク)、移民に対する姿勢、ソーシャルメディアとの付き合い方、デジタルをどのように社会に活かしていくかという話など、もちろん提案の中には、そんなにうまく行くのかな、と感じるものもありましたが、一本すっと補助線を引くと問題が解けるということを実演してくれるような楽しい本でした。一時間程で読み終わるという手軽さも良かったです。

 さらっと読める短い手紙をと考えていたのに、すっかり長くなってしまいました。
次回は、八巻さんを見習って、「きりりと短く」を心がけますね。
お返事いただけるのを楽しみにしています。
それでは、また。お元気で。

長谷部千彩
2021.10.31