言葉と本が行ったり来たり(24)太陽がいっぱい

長谷部千彩

こんにちは。六月最後の週末、海辺の部屋でこの手紙を書いています。昨夜の大雨のせいで今日は雲が多く、あいにく太陽は見えないけれど、十分すぎるほど明るいのは、眼前に広がる海に光が反射しているから。むしろ眩しすぎず、読書にはうってつけの日よりです。
この場所へ通い始めて半年が経ちますが、滞在の目的はバルコニーに椅子を出して、のんびりと海を眺めること。そして波の音を聞きながら本を読むこと。小さなボリュームで音楽を聴くことも楽しみのひとつです(時にはうたた寝も)。辺りを散策すれば、史跡名所や洒落たショップなどいろいろとあるようですが、ひとの多い東京で暮らす私には、海しか見えないこのバルコニーで過ごす時間が何よりの贅沢。日が昇り、日が沈むまで、できる限りここに座っていたいのです。
ひとつ発見したのは、私にとってリラックスできると思っていた曲が、ここで聴くと意外とテンポが早く、緊張感のあるものだったということ。波のゆらぎの前では、それらが都会の音楽であることを認めざるを得ず、同時にそれらを安らぐと感じるほど速度のある街で私は生活しているんだなと改めて気づかされました。
でも、だからといって、こちらのほうが、とはならないのですが。やっぱり私は都会の暮らしを愛している。海辺の部屋に滞在しながら、頭の片隅で東京に戻ったらあの美味しいお蕎麦屋さんに行こうとか、あの美術展にはまだ間に合うかしらと考えてもいる。先ほどバルコニーで過ごす時間が何よりの贅沢と書いたけれど、正しくは、文化をたっぷり享受できる場所と自然をたっぷり享受できる場所、その行ったり来たりが私には何よりの贅沢ということなのでしょうね。随分と平凡な結論になりました。
ちなみにいま聴いているのはパブロ・カザルスのバッハ 。無伴奏チェロ組曲です。ここ数年、クラシックはコンサートホールでしか聴かなくなっていたけれど、この部屋ではまたアルバムをあれこれ聴くようになりました。
東京へは今夜戻ります。それまでパトリシア・ハイスミスの『太陽がいっぱい』を読むつもり。トム・リプリーの最後が映画とは違うと知り、原作を買ってみたのです。まだ前半で、彼らは船出さえしていないけれど、既に映画と違う描写が多々あり、これをああいう風に脚色したのかと興味津々でページをめくっています。東京では人文書ばかり読んでいる私ですが、この部屋では小説をよく読んでいます。作家の方々には申し訳ないけれど、小説って心に余裕がないと楽しめないものかもしれません。

2024年6月29日
長谷部千彩

言葉と本が行ったり来たり(23)『歳月がくれるもの』ふたたび 八巻美恵