言葉と本が行ったり来たり(7)『昨日』

長谷部千彩

八巻美恵さま
三月に入り、このまま春へ向かうと思いきや、ここ数日、冬に逆戻りの寒さでしたね。
ショートムービーは無事完成・公開へと漕ぎ着けました。先に視聴サイトのURLをお知らせしましたが、ご覧いただけたでしょうか。感想をお聞かせいただけたら幸いです。( https://www.watashigasukina.com/ )
今回の作品は、撮影機材の条件だけで、内容的には制約がなく、本当に自由に、作りたいものを作ることができました。監督は林響太朗さん。私は脚本を書きました。本読み、撮影にも立ち会い、演出にもかかわっています。
もともと監督は、私の掌編小説集『私が好きなあなたの匂い』の映像化を希望していたのですが、制作期間が限られていたこともあり、今回はショートムービー用のシナリオを私が書き下ろし、あのような形にまとまりました。監督とは、シリーズ化して、この先も一緒に映像作品を作っていけたらと話してはいるのですが、文章と違い、ムービーは資金が必要ですし、どうなることか・・・。でも、夢がなければ夢は実現しないという歌もありますから、ここは、この先も作るつもりです!と宣言しておきましょう。

 この作品を作るにあたって考えていたことを少し書きますと、ずっと頭にあったのは、”豊かさ”についての疑問でした。いまの時代を支配しているひとつの観念――有るということ、持つということ、それが数量的に多ければ多いほど良いという観念を、私はどうしても肯定できずにいるのです。あらゆる空間や時間をパラノイア的に埋め尽くしていく行為にも。会話にしても、丁々発止のやりとり、ああいうものを、私は心のどこかで疑っている。だから、台詞の少ない脚本を書くのは、私にとってとても自然なことです。そしてそんな脚本を書きながら、削いでいくことがふくよかな表現を生む――そういったものに私の興味が向かう傾向にあると気づきました。例えば日本画。例えば生け花。詩、香り、口ごもったひとの作る沈黙。この作品の制作中は、(高橋)悠治さんのアルバム『フェデリコ・モンポウ / 沈黙の音楽』をよく聴いていました。小津安二郎の映画も観直していましたし、大好きなアゴタ・クリストフの小説、『昨日』を読み返したのも、きっと無関係ではありません。彼女の場合、後天的に習得したフランス語で書くため、という理由はありますが、文章を飾ることを拒絶しているかのような極端に短いセンテンスーー私には、その一文、一文の間に、深い哀しみが、まるで水を湛えた川のように流れていると感じられます。解説で川本三郎は、≪アゴタ・クリストフの文学の特異性は、この手応えのなさにある≫と書いていますが、彼女の小説を読むと、重さのない球を投げつけられたような、重さがないのにその球が自分の胸に深くめり込んでいくような錯覚に陥ります。
澱みなく喋るのに何も語っていないひとがいる一方で、言葉少なでありながら多くを語るひとがいる。その裏腹なところに台詞を書く面白さがあるのかもしれない。そんなことを考え続けた二ヶ月でした。
ともあれ、ひとつ仕事が一段落したので、当分は文章を書くことに専念しようと思っています。日に日に軽くなっていく陽射しの中、ゆっくり本を読みながら。

2022.03.09
長谷部千彩

言葉と本が行ったり来たり(6)『「知らない」からはじまる』(八巻美恵)