仙台ネイティブのつぶやき(70)金魚のとむらい

西大立目祥子

仕事場の机に置いてある水槽を見て、はっとした。もう8年以上も飼ってきた金魚が、白い腹を横にして沈んでいる。あぁ…。1週間ほど動きが鈍く餌も食べなくなっていたのに、冬場に食欲が落ちるのは毎年のことだ、とあまり気にもとめずにいたのだった。

死因として思い当たることが、はっきりとあった。この冬の寒さがことのほかきびしくて、この部屋をほとんど使わずにいて金魚のようすをよく見ていなかったこと、そして2週間ほど、水槽の前のカーテンを日中も開けずにいたことだ。ただでさえ、寒い部屋で陽の光もさえぎられ、水温が下がり、食欲もなくなって、ついに命が尽きたのだろう。いつも昼間は、カーテンを大きく開け放ち、さんさんと水槽に陽が当たるようにしてやっていたのだけれど…。

実は、2月初めのこと、この机の上でひやりとすることが起きた。日中留守にして戻り机を見ると、紙が燃えたあとのような白く細かい灰があたりに飛び散っているではないか。え、何事!? 見れば、紙類を重ね入れていたダンボールの箱に黒い焼け焦げができている。間違いなく火が付いて燃えた跡だった。どういうことだろう。金魚の水槽に空気を送り込むろ過器はいつものように静かに動き、電気の配線に異常はない。もちろん、誰かが部屋に入り込み火をつけた気配もない。写真を撮りメールで送って家人に見せたところ、「収斂火災ではないか」という結論になった。ダンボールの焼け焦げが、直線的に2筋くっきりとついていたのがヒントだった。

収斂火災とは、レンズや鏡などに太陽光が当たり、屈折して1点に光が集中し起きる火災をいう。小学生のとき、凸レンズで光を集め紙を燃やしたあの実験と同じ原理で起きる火災だ。
ネットには、水を入れたペットボトルであっても、光が当たると数秒で火がつき、近くの可燃物に燃え移る実験のようすまで上げられている。たぶん、水槽の上に、小さなプラケースに水を入れ野菜の切れ端を差していたのに光が当たって、ダンボールに火が付いたのだと推理した。
じわじわ燃え始めたところで、雲が流れてきて日が翳ったのが幸いしたのに違いない。たしかにこの日は、春めいた光が差したかと思うと、数分後には大きな雲に太陽が隠れてしまう、そんな天気の変わりやすい日だった。

夏場よりむしろ日差しが低い冬の方が、太陽光が部屋の奥まで入り、思わぬ火災になるという。留守の間に住まいが全焼したかもしれない、と思うと何とも恐ろしい。しかも、その要因になるものが、レンズはもちろんのこと、ガラス玉、金魚鉢、ステンレスボウル、ステンレスのフタ、メイク用ミラーなどあれこれあって、用心するのもなかなか大変だ。最近は、どの家にも備えられるようになったアルコールの消毒液のボトルに陽が当たり、あわやということがあるらしい。窓辺近くの疑わしいものを片付け、ともかく出かけるときはレースのカーテンを引いて置こうと決めた。みなさまも、お気をつけください。

さて、机にはもう一つ、少し大きめの水槽があって、2匹のさらにドでかい金魚が泳いでいる。カーテンの隙間からいくらか陽が入るようにしていたせいか、こちらは無事に冬越しできた。同じようにホームセンターで買ってきたというのに、死んでしまった金魚が、冬場はてきめんに動きが鈍くなり食欲がガクンと落ち込むのに比べると、この2匹は冬でも食欲が落ちず、水槽のそばを通っただけで口をぱくぱくと開けて餌を要求してくる。いったいこの違いはどこからくるのか、とずっと謎だった。

思い当たるのは、死んだ金魚は最初の数ヶ月、庭の池で飼っていたことだ。春から夏の間だったけれど、朝、明るくなると目覚め、夕方、日が沈むと眠る。片や2匹は買われてきてからずっと水槽暮らしで、人の出入りに加え夜でも人工の明かりにさらされ、いわば体内時計はたぶんかなりめちゃくちゃ。池で育った金魚が野性味を残しているとしたら、こちらはかなり家畜化している。昼夜を問わず食べ、冬は餌を控えめにするのが金魚飼育の基本なのに、冬も旺盛な食欲を見せ、2匹とも20センチを超えるようなグラマラスな魚体になってしまった。

この一件があってからというもの、机の上から光るものははずし、水槽をのぞき込み2匹に話しかけながら餌をやっている。生きものはその動きをつぶさに観察し、個体個体の違いを理解し、昨日と今日の違いにすぐ気づくような眼をじぶんの中につくらなければ飼えないんだなと反省したから。金魚のような人と意思の疎通ができない小さな生きものであっても、死ねば、無理やり固いものを飲み込むような気分にさせられる。うっすらと雪のかぶる庭をスコップで掘り、土に埋めた金色の魚体はどこも傷んでいなくて、きらきらと光ってきれいだった。