アジアのごはん(84)ペナン島の食堂ライン・クリアー

森下ヒバリ

マレーシアのペナンにお気に入りのナシ・カンダール食堂がある。その店の名前はライン・クリアー(LINE CLEAR)。インド系がやっている地元民に人気の食堂だ。

ペナンの古い家並みを眺める散歩して2時前にお昼ごはんにやってきた。昼時の混雑を避けたつもりだったが、入り口には 13:00~14:00は休憩 と書いてある垂れ幕がかかっていた。あれ、この店は24時間営業じゃなかったっけ? しかもお昼時になぜ休む?

すこしぶらぶらして戻ってきたが、まだ開いていない。中をのぞくと、インド系の人だけでなくマレー系のたくさんの客がテーブルに座って待っていた。15分ぐらい遅れて、店のスタッフが位置に着いた。もう長蛇の列だ。

この店では、カレーが鍋やトレイに何種類も置いてあるコーナーに自分で行って、係りの人にごはんをよそってもらい、好きなカレーや野菜を選んでご飯の上にかけてもらうシステム。皿を受け取ったらその端っこの係りのおじさんに皿を見てもらって値段を紙に書いてもらう。代金は帰りに払う。

空いた席に座ると、飲み物係が注文を聞きに来る。ここのテ・タレ(ミルク紅茶)は、インドの味がするので好きだ。砂糖ちょっぴり、と注文したがめちゃくちゃ甘かった‥。

カレーコーナーに置いてある大きな魚の頭は、注文するともう一度鍋に入れてカレーソースに戻して温めてくれる。南インドとマレーシアの名物、フィッシュヘッドカレーである。大きくて、4人分ぐらいある。二人では頼みにくい。ぜいたくは敵、がモットーな相方とでは永遠に食べることはできない‥いつか食べてやるぞ。マレー系の家族連れがフィッシュヘッドカレーをつついているのを横目で見ながら、ひそかに誓う。

今日は、甲イカの白子のカレー煮ともやしの和え物にしよう。オクラの茹でたのもおいしいから追加。係りのおじさんが、グレービーソースは要らないのか? とすすめるので、ついオクラのカレーもご飯の上に載せてもらい、なかなか豪華なカレープレートになった。魚の切り身を揚げたのも美味しいんだけど、もう食べられない。これで7リンギ(200円)ぐらい。

夕方、チュリア通りの端っこにあるひなびたコピ・ティアム(中華茶室)でまったりギネスを飲んでいたら、店の前をライン・クリアーのインド系スタッフが何人も通って行く。店は割と近いけど、なぜだろう? ちょっと仲良くなったマネージャーのダンディなおじさんが手を挙げてにっこりしてくれた。ああ、モスクに夕方のお祈りに行ってたんだな、と気が付いた。

なるほど、1時から2時まで店が閉まっていたのも、お昼のお祈りタイムだったのだ。まだインドがパキスタン(イスラム教)と別れる前にこの地にゴム農園労働者としてやって来たインド人たちはイスラム教徒もヒンドゥー教徒もいて、彼らの末裔たるペナンのインド系住民たちも、この小さな島のインド人社会でもやはりイスラム教徒とヒンドゥー教徒がいるのだ。チュリア通りにはイスラムのモスクが幾つもあるし、リトルインディアと呼ばれる地域には立派なヒンドゥー寺院がある。

そしてライン・クリアーはイスラム系の店ということだ。そういえば店にはマレー系の住民がたくさん食べに来ていたのも、それで納得だ。通常、インド系の食堂にはインド系住民が、マレー系の食堂にはマレー系住民が、中華系の食堂には中華系住民が食べに行くので、ちょっと違和感を持ったのだが、同じムスリムなら問題ないわけだ。

インド系はイスラム教かヒンドゥー教で、マレー系はイスラム教、中華系は儒教かキリスト教、先住民族は精霊信仰かキリスト教が信仰されている。イスラム教徒が豚肉を食べない、酒を飲まないのは有名だが、どの宗教にもいろいろ食べ物のタブーはある。同じ宗教の人間が経営する食堂に行くのが安全だし、理にかなっている。

後日、ちょっと調べてみたら、いわゆるナシ・カンダール食堂というのは、純粋インド食堂とは違って、インド系ムスリムによるマレー食堂、ということだった。その経営者の多くがマレー人と結婚しているインド系住民。マレー人と華人の結婚による文化のミックスをババ・ニョニャと呼ぶことは知られているが、このインドとマレーのミックスも文化混合、ババ・ニョニャなのだ。

マレー人のマレー料理の食堂にはかなりインドっぽいところとそうでない店があり、完全インド食堂との差がファジーではあるとは思っていたが、インドぽいマレー食堂はニョニャということなのだな。ライン・クリアーは働いている人が全員インド人なので、インド系食堂と思い込んでいたが、そういえばマレーっぽいカレーも多かったし、もやしやキャベツを炒めた料理もあった。ふむふむ。インドカレーとマレーカレーの違いは、マレーはココナツミルクをよく使うのとスパイス使いがまろやかであることだろうか。う~ん、カレーソースがグレービー?

ナシ・カンダールとは、マレー語でナシはご飯、カンダールは天秤棒のことで、インド人商人が天秤棒を担いでご飯とおかずを売り歩いたことからこう呼ばれるようになったという。つまりはマレーシアのインド料理とマレー料理のミックス料理のおかずかけゴハンのことなのだった。

マレーシアの住民はマレー系、インド系、中国系、先住民系と別れるが、モザイク国家とよばれるように、それぞれの民族が自分たちの文化を大切にして共存している。経済の大半は中華系が牛耳っているし、6割を占めるマレー系の優遇政策もあるのだが、憎しみ合っているとかあからさまに対立しているとか、そういうぎすぎすしたところは、表面的にはあまり感じられない。民族の同化を目指すのではなく、それぞれの民族がマレーシアの一員、というやり方だ。

イポーの町で、中華系のコピ・ティアム、永成茶餐室(ウェン・セン)で一緒に酒を飲んでいた中華系とインド系のおっさんたちの姿が思い出される。たぶん、他のどこの国のチャイナタウンでも見ることはできない風景だろう。本来イスラムもヒンドゥーもお酒は飲んではいけないのだが、そこはまあ。さらに料理を出さない(つまり豚肉も牛肉もなし)ウェン・センだからこそ一緒に飲めるのだろうが、このゆるさ、いいではありませんか。

マレーシアに渡って来たインド人の子孫たちは、本国インドの厳しいカーストからもかなり自由になっている。もちろん、マレーシアでのインド人社会にカースト制度が残っていないわけではないが、インドに比べると相当ゆるい。もともとゴム園やお茶・コーヒー園などの労働者として移民してきた人たちなので、低カーストの人達が多かったことも関係があるだろう。

民族は違っても同じ価値観、優勢な民族の文化への同化を強く促す国というのは、息苦しい。無意味な差別意識も育てる。日本もそういう国のひとつだけど、最近タイもちょっとその気配が濃厚になっている気がする。

おいしいナシ・カンダールを食べに、またペナンのライン・クリアーに行こう。そういえば、この店大きなクジラの絵の看板が上にあるものの、実は建物と建物の間の通路のような場所にある。天井は半分、シート。床は地面。店の存在もまた、ゆるい。働いている人はゆったりとして穏やか。