アジアのごはん(18)竹の子の漬物

森下ヒバリ

先日、家の近所の八百屋さんで赤紫色の皮の細い竹の子、淡竹が売られているのを見かけた。淡竹と書いて、はちくと読む。柔らかい孟宗の竹の子が終わる頃に、食べごろになる歯ごたえのある竹の子である。淡竹は日本のたけのこの中で、タイの竹の子の味にいちばん近い味だ。炒め物、タイカレー、佃煮に向く。

この竹の子を見るといつも、バンコクの定宿の近所にある、おいしいおかずかけごはん屋のことを思い出してしまう。で、くだんのバンコクのおかずかけごはん屋さんの料理のなかで、わたしが大好きなおかずのひとつが、パット・プリック・ノーマイドーン(竹の子漬の唐辛子炒め)という竹の子料理なのである。

見た目は、竹の子の薄切りを鶏肉とキノコと炒めただけである。おおまかにすり潰したトウガラシの赤い色がアクセントだ。ところが、この料理、じつに味わい深い。さわやかな酸味もあり、あっさりとナムプラーだけの味つけのはずなのに、なにこのおいしさは・・! この店に毎日このおかずがあるわけではないが、作り手のおばちゃんも好きらしく、よく登場するメニューではある。

何度目かにこの竹の子炒めを食べた後、わたしはこの料理の名前をおばちゃんに尋ねた。名前を聞いて、この味の深さが分かった。この薄切り竹の子は、ただ茹でただけのものではなく、軽く漬けて発酵させてある竹の子だったのだ。

市場に行くと、根元の部分をごく薄く輪切りにした竹の子を水の入った大きなボウルに入れて売っているが、それが竹の子の漬物ノーマイ・ドーンだ。この漬物の詳細については調査をし忘れたので(食べる方が忙しくって・・)、憶測だが、薄い塩水に漬けて発酵させる漬け方だと思う。だから発酵の程度は軽い。日本の古漬けなどを想像してもらっては困る。でも、酸味が出て、うまみがぐっと増している。

薄くて、しゃくしゃくと歯ごたえのある竹の子とキノコと鶏肉の味のからみは絶妙である。自然の酸味とナムプラーの調和。完璧な味だ〜と、いつもの二倍の量をごはんに乗せてもらって食べていたら、口のまわりがヒリヒリして腫れてきた。辛い。おなかが熱くなってきた。どうしてこんなに辛いのだろう。この店の料理の中でも一、二を争う辛さではないか。でもこの辛さが竹の子の酸味に合う。タイ人は酸味と辛味の使い方がほんとうに上手だなあ、と感じ入る。でも次からはやっぱり、一人前食べるだけにしておこう・・。

このおかずかけごはん屋さんの竹の子炒めはじつはもう一種類ある。同じ味つけのものなのだが、竹の子は根元の方のスライスではなく、上の方の部分で、拍子木切りか削ぎ切りのような形にしてある。そして、具はルークチンというつみれのような物。形は丸いが、味は魚かまぼこである。そして、キノコと赤いトウガラシ。

味は同じく辛く酸っぱくナムプラー味であるのだが、食感がかなり違うので、同じ料理とは思えない。竹の子はつるりとした舌触りで、ルークチンもふにゃふにゃ、つるり。うーん、これはまたこれで、なかなか。しゃくしゃくの方が好みではあるが。

この店のおかげで、わたしはすっかり竹の子好きになってしまった。しかし、タイのたけのこ料理の中にはちょっとなじめない料理もある。タイ東北部の料理でスップ・ノーマイという。竹の子の煮物なのだが、これもけっこう酸味があるが、やはり発酵した酸味だろうか。と思い、イサーン料理の本をめくってみたら、そうではなかった。

こちらは茹でた細い竹の子を木の棒などで叩いて、縦の繊維に沿って細かく割る。それを食べやすい大きさに切って、ひたひたの水で煮て、ナムプラー、プララー(塩辛液)、マナオ汁で味つけする。炒った米粉も入れる。生ハーブで和える。細ネギ、ミントの葉、そしてパクチー・ラオことディル。粉トウガラシ。まるで、たけのこのラープ。(ラープというのはイサーン料理の一つでスパイス叩き和え。おもに肉や魚を叩いて作る。ウマイ)
バンコクの友人オノザキさんはこのスップ・ノーマイが大好物である。だから、彼と一緒にイサーン料理を食べるときは必ずこれを頼む。ただし、彼の目の前からこの皿が動くことはほとんどない。食べられないわけではないが、何か食指をそそらないのだ。プララーの味は好きだが、たくさん入りすぎなのか。生ハーブのディルだって、かなりクセが強いがそんなに嫌いなわけでもない。

料理本のスップ・ノーマイのレシピにヤー・ナーンという不審なハーブの名前があった。聞いたことがない。辞書で調べると、たけのこのえぐみをやわらげるための薬草、とある。ただし、本当は心臓に悪い毒草で、タイでは薬として少量使うという。レシピには少量どころか20枚も葉っぱを入れろと書いてある・・いいのか? もしやこの毒草を舌が拒否しているのかしらん?

スップ・ノーマイはともかく、わたしは竹の子炒めがあれば幸せである。明日にでも八百屋さんで淡竹を買ってきて茹でようっと。根元の方をスライスしたら塩水に漬けてみようか。冷蔵庫の中で残った茹で竹の子が、酸っぱくなっているのを「ありゃ、腐っちゃった」と捨てていたのは、実はもったいないことだったのかもしれない。乳酸発酵しておいしくなっていただけではないのか。

もし、冷蔵庫に残り物の竹の子があって、それがどうやら酸っぱくなっているようだったら、ぜひ薄く切って炒めてみてください。今のところわたしの冷蔵庫には残り物の竹の子はないので自分で実験は出来ないですが、万が一乳酸発酵じゃなくて、腐敗であった場合でもわたしは何の責任も持ちマセン。

ラオスの南部の町パクセーの市場の隅では、一斗缶に水を入れて薪で焚き、そこに竹の子の皮を剥いては詰め込んで茹で、そのまま封をする作業を行っていた。市場の茹で竹の子はこんな風に作られていたのだ。タイの場合はもうガス火の場合がほとんどだろうが、ラオスでは今も薪や炭が大切な燃料である。薪や炭で煮たり焼いたりしたものは、なんでもうまい。薪で豪快に茹でる竹の子をつい、うっとりと見つめてしまった。小さな頃まで生家にあったおくどさんが懐かしい。いや、もう一度ほしい。