インドネシアの芸大の入試事情

冨岡三智

頃は2月、日本では受験のシーズンというわけで、今月は私が留学していたインドネシアの国立芸大スラカルタ(通称ソロ)校の入試事情について書いてみたい。ここでいう入試はもちろん、外国人ではなく現地の人たちが受験する入試のことである。実は、私は2度の留学を終えた半年後(2003年)に舞踊教育の比較調査に関わって、インドネシアの部を担当させてもらったのだった。それまで友達や先生にどんな入試なのか聞いていたけれど、実際に試験前の会議や試験当日の様子を目にしてみると、いろいろと考えさせられることが多かった。詳しいことは報告書に書いて提出したのだが、パソコンが壊れたドサクサにまぎれて消えてしまったので、ここでは記憶に頼りながら書いてみよう。

インドネシアでは8〜9月初め頃に大学が始まるので(断食月のズレに合わせて毎年入学日が変わっていた)、入試は毎年8月早々にやっていたと思う。確か午前中は筆記試験、午後から身体検査、体力測定、実技試験があった。試験前の会議で確認していた学生の採用方針は、定員なし、ともかく何らかの見どころがあれば皆入学させるというものだ。このことは留学時代から先生に聞いて知ってはいたが、実技試験を見て、ほんとうにどんな「見どころ」でも良いのだなあと驚く。

入試要項には、自分が踊りたい曲のカセット、サンプール(ジャワ舞踊で必ず腰に巻く布)、舞踊小物などを持参するようにとある。実技試験は1人ずつで、中に入るとまずは面接である。それまでの舞踊歴やら、志望動機やら、家庭環境やらを聞かれる。その後、では何かやってみてくださいと言われて何かをする。これは別にジャワ舞踊である必要はない。町の舞踊教室ではいろんな地域の舞踊を教えているから、西ジャワのジャイポンガンなどを踊る子もいる。

東ジャワから来た受験生で、東ジャワの伝統的な民間芸能レオッグ(巨大な獅子面をつけて踊る)に出てくる、アクロバティックな踊りを披露する男子がいた。これはまあ言えば大道芸で、芸大で教えるようなアカデミックな舞踊ではない。彼は小さい頃からこの芸能に携わっているようで、体もよく利いていた。それで先生たちも楽しんで、次々にリクエストしてはいろんな技をやらせていた。実技試験は1人ずつのはずだが、3人まとめて試験された男子たちもいた。彼らはみなソロの国立芸術高校出身なので、まとめてやらせることにしたという。彼らの場合は試験官のほうが曲を指示して踊らせ、さらにサブタンなど基本的なジャワ舞踊の型もやらせて見る。芸術高校出身者には求めるレベルも高く、とりわけ基礎がきちんとできているかどうかを厳しくチェックする。またある女の子は、試験官(+観察者の私)を前に、おしゃべりあり、歌あり、踊りあり、笑いありの楽しいショーをやって見せた。この娘なら芸大に入らなくても、これで食っていけそうな出来栄えだ。こういう実技でも良いのか、と軽くショックを受ける。

逆に全然何もできない人も来る。日本人にとっては不思議なことだが、芸大に入ってから舞踊なりガムラン音楽なりを初めて習うという学生が、実は毎年数人いる。では、なぜ芸大を受験したのかという問いに多かった答えが、「イヌルちゃんみたいになりたいから」というもの。イヌルちゃんというのはダンドゥット音楽の歌手で、腰をセクシーにくねらせて踊りながら歌うスタイルで大人気だ。しかしダンドゥットは庶民層に人気のある流行音楽で、芸大のようなアカデミックな機関では決して教えない種類のものである。こういう勘違いは田舎出身の人に多い。それでも試験官は何らかの実技試験をする。たとえば、試験官がジャワ舞踊の簡単な型をやって見せて真似させる。音楽科なら、簡単な音楽のフレーズを聞かせてから演奏させる。まだ何もできない人には、ともかく真似してついてこれるかどうかを見るのだ。中には、舞踊の真似も恥ずかしがってしない人がいた。試験官が、それでは替わりに何かできることはないか、歌はどうかと聞くと、歌も苦手だという。彼女はイスラム式にスカーフを被っていたので、コーランの朗誦はできるかと聞かれて、それでやっとコーランの朗誦を始めたのだった。

こんな、内容もレベルも多種多様な試験方法を取るのは、将来どんな才能が花開くか現時点では未知数だからということだった。それに芸術機関の使命やカリキュラムが昔とは異なってきたこともある。昔の芸術機関が最重要で養成していたのは、既存の伝統舞踊の演目を踊りこなせる舞踊家および舞踊教師だった。しかし現在はコンテンポラリ舞踊が盛んで、振付のアイデアがますます重視される時代になっている。だから、ジャワ舞踊がうまく踊れなくても、その他の能力が振付に役立つかも知れないと考えられるようになったのだ。やりたい者にはとりあえずやらせてみるという方法には、私は最初に留学したときには大変驚いたものだが、今から思えば芸術という将来の果実が予測できない分野の教育法としては良くできた制度(何もしない制度だとも言える)ではないかと思っている。