アジアのごはん(31)ラオスごはん再び

森下ヒバリ

タイ・バンコクのモリスタジオで、レコーディングしているカラワンのモンコンに会った。去年会った時はあまり体調が良くなさそうだったが、今回はかなり元気そうだ。
「なんか調子よさそうだね」「うん、お酒を飲むのを・・」「え、やめたの?」「いや、あんまり沢山飲まなくなったから、調子いい」

モンコンはお酒好きで毎晩大量に飲む。しかも飲み始めると長いので、いつも付き合いきれない。朝まで飲んでいたのを、12時ぐらいでやめることにしたらしい・・。9日にビザが切れるので、数日したらラオスのビエンチャンに行くという話をしたら、モンコンが嬉しそうに言う。「9日? 俺たちも9日にビエンチャンでライブがあるんだよ」

ビエンチャンでライブ? ビエンチャンにライブハウスなんかあったのか? ビエンチャンはラオスの首都だが、大変こぢんまりとした町である。市の人口は50万人、と発表されていたような気がするが、市街地に住んでいるのは多くて3万人ぐらいでは・・。

きくと、タイのライブハウス・チェーン「タワンデーン」が海外進出を決め、その一番手がお隣ラオスのビエンチャンで、9月9日がオープニングパーティでスラチャイとモンコンが出演するとのこと。スラチャイに電話して確かめると「前の日からビエンチャンに行ってるから店に来い」とのこと。「ビエンチャンのどこにあるの?」「場所は知らないけど、だれでも知ってるさあ」

バンコクから寝台列車に乗ってタイの国境の町ノンカイで下車。寝台特急はノンカイが終着駅だが、昨年ここからラオスに国境のメコン河の友好橋を通って線路がラオス側までつながったのである。ラオス本土で初めての鉄道開通!(ちなみにラオス初めての鉄道はフランス植民地時代に南部のメコン河の中洲の島、コーン島とデッド島に大変短いが敷かれた。その後すぐ戦争で放棄された)列車マニアでなくとも、ここはノンカイで国際列車に乗り換えて、ラオス入りを果たすべきところであろう。

しかし、ラオス本土初の路線は、なんと橋を渡って少し西にある国境イミグレーションには寄らず、北進してビエンチャン市街から離れていってしばらくして最初で最後の駅に着く。しかも寝台列車がノンカイに着いてから4時間後にしかラオス行きの列車はないのである。不便極まりない。列車は好きだが列車マニアでないわたしは、もちろんノンカイで降りてオート三輪のトゥクトゥクで国境へ出た。

この、ラオス鉄道はいったい何なのかというと、いずれそのまま北進して中国との国境まで線路を作り、中国雲南省とラオスを結び一気にその先のタイへ大量輸送路のラインを作り上げるためのものである。ラオスのねらいではない。中国のタイ進出のねらいである。

ラオスと中国雲南省の国境は北部のモンラーがメインルートだが、以前はラオス側も中国側もまったくの山の中の寒村であった。数年前二度目に行ってみると、いきなり中国国境から完全舗装の四車線道路にピカピカのカジノの建設中であった。ラオス側は変わらぬぼこぼこ道。中国はいったい何を考えているのかと、あっけにとられたものだ。

だが、中国の雲南と(ラオス・ビルマ・ベトナム経由で)タイをむすぶルートへの執着は本気であった。中国の援助で、モンラーからラオス北部の古都ルワンパバーンへの道は舗装され、ルワンパバーンからビエンチャンへの道も立派になった。雲南とビルマ東部の国境からタイのメーサイにつながる道も立派なものが造られた。さらにメコン河の岩場の多いところを大型輸送船を通したいので爆破していいかと再三ラオスに打診して、国際的に非難を浴びまくったので、それは一応あきらめて、タイのチェンコーンとラオスのフエサイに橋をかけることにした。雲南から船で下ってチェンコーンまで来ることが出来れば、タイへの大量輸送ルートがまたできるのだが、メコン河の岩場の前で荷物を降ろして、かわりに道路とメコンにかかる橋をつくることにしたのである。もう、ラオスは別の国だという認識はほとんどないのではないかという、この勝手ぶり。

いまさら、タイへ大量輸送ルートを何本も作っても、これ以上そんなに中国の物が売れるのであろうか。そろそろ、タイ人もバブルな生活から地に足をつける生活に目覚めつつあるような気もするのだが。歴代一位のバブル首相、タクシン時代にタクシンが煽って中国と一緒に考えた計画なのかも。おかげでラオスの国土はぼろぼろである。

とりあえず、ラオス国際列車には乗りそこねたが、無事ビエンチャンに到着。今回は噴水の近くの中庭がきれいで部屋も清潔な中級クラスの宿にした。ところが、夜になるとたくさんのナンキン虫が出てきて大騒ぎになった。ぎゃあ〜! 虫は退治しても次々に出てくるので、フロントに走り、なんとか部屋を変えてもらった。長いこと旅をしているが、こんなに大量のナンキン虫を見たのは初めてである。

次の日、フロントのマネージャーの言うことには、ナンキン虫が大量発生して困っているとのこと。いくら部屋中を消毒して除虫しても三ヵ月ぐらいすると、また大発生してしまい、頭を抱えているようす。人気の宿なのに、これでは評判ががた落ちであろう。ふつう、ナンキン虫は不潔でじめじめした場所を好んで生息する。だから安宿に多いのだが、ここのような清潔で毎日掃除・洗濯している中級宿に出るとはどうしたことか。ホテルも困っているようだが、こちらも大変疲れた。

フロントのお兄さんが、「タワンデーン」は噴水のすぐ向こうにある、と教えてくれたので、ぶらぶら歩いていくと、あわただしく内装工事中の店があった。まだ内装の壁を塗っているわ、作り付けの棚は作っているわ、中は人が右往左往して工事現場そのもの。床もドロドロである。見ていると、トラックでテーブルとイスを運んできた。しかし、もっとよく見ると、店の奥のステージだけは出来ていて、そこで楽器を置いて音を出したりしているではないか。

「明日、ほんとうにオープンするつもりなのかな・・」タイやラオスでは9という数字は幸運の数字なので、2009年9月9日というと、9が三つもあってたいへんおめでたい日なので、どうしてもこの日にオープニングパーティをしなければならないのであろう。前の日に行くといっていたスラチャイたちは案の定まだ来ていなかった。

9日の夜、メコン河の土手にある屋台でごはんを食べてから店に行くと、なんとちゃんとパーティをやっている。昨日は徹夜で工事をしていたらしい。もっとも、翌日また前を通りかかると、再び工事現場に戻っていたが。パーティの客は半分がラオスにいるタイ人であったが、ラオス人もけっこう来ていた。

タイのライブハウスがオープンしたり、古い建物がいくつも取り壊されたり改装されていて、今年のビエンチャンは、なにか開発ラッシュである。メコン河の土手も公園にするために改修中だ。土手に出る屋台の料理もレベルが下がってきた。大好きなネームカオという料理を食べにビエンチャンに来るようなものなのに、今回はおいしいネームカオに一度も当たらなかった。くっ。ネームにつきものの野草としか思えないハーブたちもほとんどついてこなかった。ラオス人以外の観光客がたくさん来るようになったので、屋台の味のレベルが下がったのかもしれない。

そう思って、最終日には、ラオス人の小金持ちが行くこぎれいな川縁の店に行ってみた。
「高いだけやないの?」連れのワイさんはちょっと不服そうだったが、出てきた料理に手をつけると嬉しそうな顔になった。頼んだものは、春雨の和え物、鶏肉のラープ、干し牛肉揚げのウア・デードにもち米である。ネームカオはなかった。春雨の和え物はおいしいが、辛すぎてたくさん食べられない。辛すぎて食べられない、というのも久しぶりだ。ラープもばっちりスパイスが効いていてウマイ。

「う〜んやっと、ラオスの味だ・・」
スパイスに漬けてから半日ほど干した肉を揚げたウア・デードは、いままで食べた干し牛肉の中で一番うまい。しかも厚切り。くちゃくちゃ噛み続けると、うっとりシアワセを感じる。噛んでも噛み切れない干し肉を口の中で反芻しながら、やっとラオスらしい料理にありつけたな、と思う。ラオスの料理は、野性味が身上なのだ。野草のようなハーブ、かけまわる鶏や牛の肉、目の前のメコン河の魚・・。

東からはベトナム、北から中国、南と西からタイにはさまれて、つぶされないでほしい国、ラオス。おいしいラオス料理がある限り、だいじょうぶと信じたい。