砂漠でラマダン

さとうまき

8月の終わり、鎌田医師らをイラクに連れて行った。クルド自治区は、とても暑い。太陽が、近いのだ。それで、結構みんなへばってしまったが、朝方、北イラクから、飛行機でヨルダンに入り、陸路でシリアに移動。一日で3カ国を旅するという強行スケジュール。翌朝は、早朝にシリアから今度は陸路で国境を越えてイラク国内の難民キャンプに向かう。丁度、ラマダンが始まってしまい、朝から飯が食えない。ただ、水だけは飲まないと、倒れてしまう。

シリアの国境に着くが、なかなか許可を出してもらえず、結局5時間ぐらい、待たされた。
鎌田先生をはじめ、日本からの訪問団は、こういうのあまり慣れていないのだけど、気長に待つしかないのだ。書類一枚無くても、通してもらえないし、書類があっても、なんだかんだと理由をつけられて断られることもある。ずーと車の中で待たされ、ペットボトルの水もお湯のようになってしまう。食料もラマダンだから、ビスケットや、ポテトチップをみんなでつまんでいる。国境は砂漠の真中にあり、気温もどんどんあがっていく。夏のラマダンは、相当きつい。

最後に、僕たちは、シリア警察の事務所に呼ばれて、コーヒーをご馳走になった。警察官は、ラマダンをやらないという。仕事に影響がでるのだろう。イラク国境からイラク警察が迎えに来てくれた。ぎゅうぎゅうづめになりながら、国境を越える。イラク側には、未だにアメリカの海兵隊の検問所があって、米兵が、手の甲に、日付のスタンプを押してくれる。難民キャンプに着いたのは、もう日が傾きかけたころだった。鎌田医師はあわただしく、難民の患者を診察して、去っていた。

僕は、キャンプに一人残ることになった。ほとんど日が傾いてきたころ、子どもたちが遊んでいる。地面に水をかけるとさそりが喜んで出てくるそうだ。捕まえた2匹の黒いさそりを見せてくれる。僕は、砂漠に何度も足を運んだけど、生きたさそりを間近に見るのは初めてだったので、なんだかうれしくなったのだ。日本の子どもたちがカブトムシを捕るような感じだ。

キャンプも昼間は暑くて、みんなテントの中にいるのだが、日が傾き始めると、食事の準備が始まる。買い物を手伝う子どもたちもいる。いよいよラマダンあけのご馳走。イフタールだ。地平線に太陽が落ちていく。正確には、ポテトチップを食ってしまったので、私はラマダンをしたわけではないが、朝から食ったものは、それだけなので、自分的には、ラマダンそのものである。それで、国連の職員たちと、テーブルを囲んで、日が暮れるのをまった。

急に肉をくうのはよくないので、ナツメヤシの干したものとヨーグルトドリンクからスタート。とそのとき、バリバリと音がして、上空に米軍のヘリコプターが飛んできた。いきなり、ミサイルのようなものを撃つので何だ!と思ったが、フレアーと呼ばれるもので、ヘリの熱源を目指して追尾してくるミサイルの赤外線シーカーをだまして、ヘリの代わりにフレアーを追いかけさせるというものだそうだ。ラマダン明けのお祝い? アメリカ軍がそんな気の利いたことをしてくれるとも思えない。下から、ミサイルで狙われているのだろうか?

夜、僕はテントに、泊まる予定だったが、夜の11時ごろ、国連のスタッフが、キャンプは危険だから、国境のUNのキャラバンに止まるように薦めてくれた。夏の夜の砂漠は、ちょっと素敵だ。ラマダン初日は新月。星が降ってくるように輝いている。

朝、地平線から太陽が顔をだす。国連のスタッフが、卵を焼いてくれる。そして、銃声がきこえる。イラク警察が射撃の訓練をしているらしい。長い一日が始まり、僕のプチ・ラマダンが始まる。

国境付近には、パレスチナ難民、イラン系クルド難民、アフワーズ難民(イランから逃げてきたアラブ系住民)がいたが、今年7月全員がアルワリードに収容され、現在2000名近くが暮らしている。難民解決への道は程遠い。