「図書館詩集」6(暗闇が暗闇に見えないくらい)

管啓次郎

暗闇が暗闇に見えないくらい
視神経が昂っている
夜の火山に炎を見たせいか
こうして目が灼かれることがあるんだ
赤いマグマの光が空に映り
噴煙の中を稲妻が飛ぶんだ
子供たちは海釣りの堤防に並び
一斉に観測用の凧を上げている
いや、科学だけでなく
風神にも雷神にも奉仕するつもりか
それもまた夢の惑い
犬たちが鳴くような声がした気がして
だんだん目が覚めてきた
アイラ、アイラ
と海を渡ってゆく声がする
アイラ、カルデラ
と良く知らない言葉ばかりが聞こえる
Aira? Irie!
Mandala, gondola,
午後の内海を行くこの船の航跡も
空から見れば鳥たちがこの世を渡るための
曼陀羅に見えたりして
「桜の女王」という渡し船に乗って
しずかにこの火の島から離れてゆく
Sombra, penumbra,
しずかに予想を裏切ってゆく
運命の漂流だ
溶岩の海は潮の壺
精霊の学校のようにお行儀よく
魚たちが憩っているのは
ただ見えないだけかな
三つか四つの知らない言語が
ガヤガヤと響いている
海で鳴く小鳥の声は
彗星の沈黙
海で談話する人間たちの声は
過去にしか聞こえない
(過去のことばかり考えるのを
止めなくてはいけないな……)
だが水面をわたる風と
船のエンジン音が執拗に回帰するのだ
三十九年前にわたった国境地帯の湖では
かもめたちが遊ぶように飛んでついてきた
パン屑を求めていたのかもしれないが
人間は星屑のように話し声をばらまいて
山間の湖ではその標高のせいで
時間はそれだけゆっくり経過した
それを思うと海はほぼ絶対的に平等だ
月の引力や地形により上下することがあっても
海が海だというだけで「海抜」を語れる程度には
地球のどこでもおなじ高さにある
アルテミスとアマテラスの区別もつけないし
ましてや肌の色には無頓著に生きている
揺動の見破れないゆらぎにまぎれて
クラゲやウミウシがおとなしくしている
すばらしく落ち着いた存在たちだ
ああ、また思い出した、昔あの湖をわたるとき
ブラジル人の巨漢がいてイタリア人の真似をして
みんなを笑わせていたっけ
Mira, mira, mira!
Qué rico, qué maravilloso, qué divino!
正確にはイタリア人の真似ではなく
イタリア風の抑揚を保持する
ポルテーニョ(ブエノスアイレス)訛りの老女の演技
絵葉書むけの完全に美しい風景を見わたして
大袈裟な身振りで
胸のまえで祈るように両手を組んでそういうので
みんな笑った
イギリス人らしい幼い兄妹がその台詞を覚えてしまい
何度もくりかえすので
みんなまた笑った
初老の大男は一人旅だといった
なんでも手でふれてみたいんだと彼はいった
話に聞いたり写真で見たりするだけではなくてね
水があれば跳びこんでみせるよ
砂でもいいし火でもいい
生き延びることを保証してくれるなら
あの火口のようにエグゾティックな場所にでも
ためらうことなく入っていくさ
それは非常にむずかしいよ、とぼくは意見を述べた
きみときみの命が別離を決意したとき
そのとき初めてその行為を実現してよ
物にふれる(tocar)ことより
今は世界風景という幻の映画を一緒に楽しもうよ
なるほど楽しむのはいいが愉快だが
あのときたぶん六十歳を超えていたきみは
今では九十九歳にはなっているだろうし
きみの真似をしていたあの幼い兄妹も
立派な中年か死者になっていることだろう
そのさびしさ
火山の一呼吸のあいだに
人は何十世代を魚のように生きるのか
安永の大噴火では井戸が沸騰し
海水は紫色に染まったそうです
山頂の黒煙の中に雷光が見えて
シラス大地の元となる火山灰が降った
そういえば大正三年の大噴火となると
それに遭遇した黒田清輝先生がみごとに描いていたっけ
ほら、さっき電車道の歩道に立っていた
あの小柄な銀色の男だよ
実際、噴火くらいすばらしいものは地上に他にない
ブルカノ式噴火も
プリニー式噴火も
ストロンボリ式噴火も
プレー式噴火も
そのつど人間の居住を再定義する
火山の魅力には抗しがたいものがある
カリブ海の島グアドループで
噴火が間近だといわれ地元住民が避難したあとの火山
ラ・スフリエールに登ってゆき
ドキュメンタリーを撮影したのは
ヴェルナー・ヘルツォーク
狂っている
どれだけ危ないかわからないのか
ヴェスヴィオ山といえばナポリ近郊
壊滅後のポンペイの調査におもむいたのが
偉大な学究、『博物誌』の大プリニウス(プリニー)
噴煙を吸い込んでそこで倒れて死んだ
この山に呼びかける美しい歌を書いたのは
スフィヤン・スティーヴンス
「ヴェスヴィアス、火の火
さあ、ぼくを追ってくれ
ぼくは幽霊の味方」
桜島の火口に次々に人々が跳びこむとしたら
それは陰惨な想像だな
跳びこむのが巨大な桜島だいこんなら
それは楽しい想像になる
ザビエルさまは十六世紀に鹿児島に上陸したとき
桜島をどうごらんになっていたことか
彼はナポリを見たことはあったのかしら
彼の時代ほとんどの陸路の旅は
みずから徒歩で行くしかなかっただろうから
(海岸をゆく船を利用したとしても)
気楽に行ける旅などまったくなかった
それが十六世紀の人だ
芭蕉さまだって十七世紀後半なのだ
いま気軽に旅をして
飛行機やバスが混んでいるといって文句をいう
われわれはバカだ
気を取り直して、いながらにして
詩の旅を試みるか
あらゆる詩は「書き直し」re-writingともいえるよ
あらゆる旅が「なぞり」であるのとおなじく
あらゆる顔が模倣であるように
すべて本歌あり、本歌取り
なるほど、だったら

黒森をなにといふともけさの雪(芭蕉)
シュヴァルツヴァルト言語喪失けさの雪(犬)
海くれて鴨のこゑほのかに白し(芭蕉)
海くれて鴨とかもめの暗黒誦(犬)
霧しぐれ富士を見ぬ日ぞ面白き(芭蕉)
視野すべて水のうすぎぬ富士不可視(犬)

などと遊んでみるのもいいかもしれない
せっかく日本語を覚えたんだから
読み書きを覚えたんだから
それくらいの遊びがあってもいい
ところでザビエルが日本語を
どれだけ知っていたのかは知らない
彼にはお付きの日本人がいただろう
ヤジローはおそらく元海賊、人を殺して鹿児島を逃れ
ポルトガル船に乗り込んでマラッカに来た
改心して洗礼を受け
やがてザビエルを薩摩の坊津へと案内した
ヤジローはどんなポルトガル語を話したことか
ザビエルが日本で知り合った少年はベルナルド
日本名を残さなかったベルナルド
やがて初めてローマを見た日本人
「薩摩のベルナルド」*
ザビエルは二人の従者(フェルナンデスと
ベルナルド)とともに
堺で船を降りて陸路みやこをめざしたという
京までは二日の道のり
護衛付きの貴族の一隊に加わるかたちで
この旅をした
道中にはよく盗賊が出て危険なのだ
貴族を乗せた車か駕篭を追って
みんな小走りでついてゆく
ここでぼくが想像を好むのは
そのときのザビエルの姿だ
(これは後にベルナルドがローマで語った挿話)
貴族の馬車の後をザビエルは
上機嫌で柿を空中に投げ上げたり受け止めたりしながら
走ってついていったのだ
ザビエルはじつは遊び好きで快活な人だったのだろうか
別の時代に生まれたなら
バスクの競技ハイアライの選手にでもなっていたかも
このときのザビエルの姿を後にローマで語るベルナルドは
イエズス会の先輩たちに対して
いくらか得意に思っていたかもしれない
ジャグラーのように
少し息を切らせながらも
京にむかう高揚に疲れも感じず
空にむかって柿を投げ上げるフランシスコ
その薫陶を受けたベルナルドも
周囲の人々に強い印象を与えたらしい
慎み深く気高い精神だった
「彼と話した人は熱心に彼の言うことに耳を傾けた」
一五五四年のクリスマス前
ナポリでベルナルドに会った神父がそう記している
ナポリすなわちヴェスヴィオ火山が見える港町
それを見て桜島を思い出すなというほうが無理
薩摩のベルナルドは遠い火山に何を思ったことか
遠いザビエルにむかって感謝の言葉を送ったのか
ローマで教皇パウロ4世の足にくちづけを許されてから
ベルナルドは修行のためにポルトガルに戻り
病は癒えず
一五五七年の灰の水曜日に
コインブラ学院で死んだ
二十三歳だった
ザビエルの日本到着から
わずか八年後のことだった

天文館図書館(鹿児島市)、2023年3月7日、晴れ、噴煙あり

*ベルナルドの生涯についてはホアン・カトレット『薩摩のベルナルドの生涯 初めてヨーロッパに行った日本人』(高橋敦子訳、教友社、2013年)に学んだ。