ムーミン谷の11月

若松恵子

エッセイストの山本ふみこさんが講師を務める朝日カルチャーセンターの「どくしょかい」という講座に参加している。本を読み解くというよりは、山本さんが選んだ1冊の本を間に参加者どうしが出会うというような時間になっている。

果たしてカルチャーセンターで「どくしょかい」が成立するものなのかどうか、山本さん自身も確信の無いまま始まった講座の最初の本は、児童文学の「まつりちゃん」(岩瀬成子作)だった。私自身前から気になっていた作品で、社会的にクローズアップされるよりずっとずっと前に「子どもの貧困」を描いた物語だ。この読書会をきっかけに本を取り寄せて読むことができた。事情があって、日中は隠れるように一人で生活している5歳のまつりちゃんと、その存在に気付き、ひそやかに支える近隣の人たちの物語だ。

「子どもの貧困」に対する問題意識も考え方もバラバラなメンバーが、本を間に挟んでそれぞれ感じたことを自由に話すのは、物語とつりあう面白さだなと思った。1か月に1回集まり、全3回でひとつの本を読んでいく。今年のお正月から始まった第2期では庄野潤三の『貝殻と海の音』が選ばれた。庄野潤三についても何となくそちらの方は良い香りがしているぞと思っていたけれど、これまで読んで来なかった作家だった。どくしょかいが読むきっかけをもたらしてくれた。そして、庄野の晩年の暮らしが描かれたこの作品を読んでいるうちに、思いがけずに「ホームスティ」の世の中となってしまった。緊急事態宣言が出された暗い春に、庄野潤三が描く遠い昭和の日々の懐かしさ、その静かで健やかな明るさになぐさめられた。

庄野潤三の3回目は延期となり、7月の終わりにやっと開催することができた。久しぶりにみんなと再会してコロナ禍での近況を報告し合う印象的な回となった。3冊目の『神の微笑』(芹沢光治良)は中止となり(この作品をもとにどんなどくしょかいになったのか興味深いが、参加者が必要数集まらなかったようだ)、4冊目は『ムーミン谷の11月』となった。

今回は「どくしょかい」には参加できなかったけれど、11月に『ムーミン谷の11月』を読むことにした。愛用しているほぼ日手帳の11月の扉に「秋になると、旅に出るものと、のこるものとにわかれます。いつだってそうでした。めいめいの、すきずきでいいのです。」という「ムーミン谷の11月」の一節が引用されていて、これは啓示だと思った。飯能にムーミンパークができたりしてまたブームなのか、新版の全集が講談社から出たばかりだった。

山本さんが、次に選んだ本は「ムーミン谷の11月」ですと話していた際に、ムーミン一家が出てこない物語だと話していたけれど、冬を前にムーミン一家は旅行中で、ムーミンを慕う何人かがムーミン屋敷を訪ねてつかの間の共同生活をする物語だ。人づき合いが苦手な変わり者ばかりが集まって、不器用な共同生活を送る。冷たい空気、雪をいっぱい含んだ灰色の雲、冬の到来を告げる雷、夕暮れに黒々とシルエットになる樹々、冬直前の11月の魅力がいっぱい描かれている。これまで私にとって11月は10月と12月に挟まれた、どちらかというとぱっとしない月だったのだけれど。もうすぐムーミンたちが帰ってくるという予感に満ちて物語が終わるところも良い。ムーミンの物語をあらためて読んでみようと思った。

そんな思いをもっていたからか、時々寄る喫茶店で1冊の本に目が留まった。『ミンネのかけら ムーミン谷へとつづく道』(冨原眞弓著)という本だ。「生きていれば、出逢いがある。小さな予感の積みかさねの先におとずれる出逢いがあれば、いっさい予感をともなわない出逢いもある。あっと思ったときには、もうぶつかっている。ある日、こちらの不意をついて、それはやって来る。なんだかわからないが、衝撃は大きい。しばし呆然として、やがて気をとりなおすが、なにかが変わっている。そういう出逢いが、わたしには二度あった。ただし、ぶつかった相手は生きて動いている人間ではない。二度とも一冊の本だった。」

この冒頭の一文にすっかり魅了されてしまった。書名をメモして帰り、さっそく本屋で手に入れた。冨原が出逢ったのはシモーヌ・ヴェイユとトーヴェ・ヤンソン。この取り合わせにも、何か予感を感じる。そして、2人に魅かれたことをきっかけにして変わっていった人生の中で出逢った人々との思い出、記憶(ミンネ)のかけらが語られていく。今は亡き人も多い、その人との忘れられない風景が描かれるが、それはガラスや鉱物のかけらのようにキラキラと輝いている。青春の日々の思い出が多いからだろうか。冨原の記憶の中にいっしょに立って、輝かしい日々を体験しているような、そんな気持ち良さで、どんどん読み進めていった。冨原が直接会って話したトーヴェ・ヤンソンの思い出もたくさん語られている、冨原が初めてストックホルムで手にした『ムーミン谷の冬』を今度は読んでみようと思う。