RCサクセションのギタリスト、仲井戸麗市率いるCHABO BAND(チャボバンド)のライブを見に大阪に行った。仲井戸麗市の活動としては、ソロ、ストリート・スライダースの土屋公平との麗蘭(れいらん)、チャボバンドとあるのだけれど、彼の74歳の誕生日を記念するライブは1年ぶりのチャボバンドで企画された。彼が音楽を奏でる限りどこへでも聴きに行こうと思っているので、大阪まで出かけて行ったのだった。会場は、住之江競艇場の隣にあるライブハウス、ゴリラホール。1982年の夏に、住之江競艇場で来日したチャック・ベリーとRCサクセションが共演した、その思い出のある場所だった。
チャボバンドのメンバーと作った10年ぶりのアルバムが、クリスマスに発売される。そのアルバムのタイトル「Experience」を冠したライブは、ギタリスト、ソングライター、ボーカリストとしてのチャボの、様々な経験をくぐりぬけてきた「今」を感じさせるものだった。連れの夫とともに「すごい」「すごい」と言いながらその日泊まるホテルまで四ツ橋線に乗って帰ってきた。
帰りの新幹線までの自由時間にどこか大阪を見物しようと、その参考に、買ったままだった『大阪』(岸政彦・柴崎友香/2021年河出書房新社)を読んだ。著者の取り合わせに興味を覚えて手にした本だった。大阪で育って今は東京に暮らす柴崎友香と、大学進学のために大阪に来て、そのまま今も大阪に暮らす岸政彦が、交互に大阪について話す(文章を書く)構成になっている。相手の文章に影響を受けて、2人の書くものが響き合って、深まっていく感じが良かった。
「はじめに」で岸政彦が書いている。「私たちはそれぞれ、自分が生まれた街、育った街、やってきた街、働いて酒を飲んでいる街、出ていった街について書いた。私たちは要するに、私たち自身の人生を書いたのだ」と。観光案内にはならなかったけれど、2人が大阪で「たくさんの人びとと出会い、さまざまな体験をして、数多くの映画や音楽や文学を知り、そうすることで、自分の人生を築いてきた」、その物語を読むことで、歩く大阪の街に親しみを感じることができたのだった。
学校にも家にも居場所が無くて、大阪環状線に乗って何周もしていた日々のことを柴崎友香が書いている。学校に行くのが苦しくなって、時々早退して、親にばれないように夕方家に帰るまでの時間、環状線に乗って時間をやりすごすのだ。「学校を早退していったん家に帰って着替えて、行った先が環状線だった。誰かに会わず、お金がなくても過ごせる場所を、そこしか思いつかなかった」からだ。「大阪環状線は名前の通りに環状でいつまでも乗っていられるから助けてくれた」と彼女は書く。
そして、乗っているうちに、ほとんどの人が思ったよりすぐに、3駅くらいで降りていくことに気づいて「みんな行くとこがあるんやな」と思う。時には、自分のように、ずーっと乗っている人を発見したりもする。そんな時間の中から、彼女は「自分は一人でいることがつらいのではなくて一人でいると思われることがいやなだけで、だとしたらたいしたことではない」と思うようになる。「日が暮れるのが早くなり、風が冷たくなり始めたころ、わたしは環状線の駅から外に出ることにした」。一人で街を歩くようになったのだ。
彼女がそんなふうに過ごした90年代初頭は、バブルは終わっていたとはいえ「ミニシアターが次々できて、小劇団が注目され、百貨店でも美術館並みの展覧会をよくやっていて、地上波のテレビで深夜に外国やミニシアター系の映画をやっていて、三角公園でただただしゃべっているだけでお金がなくても楽しく過ごせた」時代だった。ひとりきりで歩く大阪は「新しいこと、好きなものを、毎日のように見つけられ」「世の中にはわたしが知らないことがたくさんあって、わたしが知らないことを知っている人がたくさんいて、自分もここにいていい」と思える街だったのだ。ほぼ同年代の私も、当時の渋谷や吉祥寺や下北沢の街を同じように思い出す。
「あほでとるにたりない1人の高校生だったわたしに、大阪の街はやさしかった」「街が助けてくれたから、わたしは街を書いている。」と柴崎友香が書いていて心に残る。当時見た映画やライブを記録していた、小さな手帳の話が出てくる。1989年1月「トーキョー・ポップ」2月「ドグラ・マグラ」、1990年7月「ボーイ・ミーツ・ガール」12月「エレファントカシマシ」と並んでいるなかに1992年2月「麗蘭」という記述があって、嬉しくなった。
仲井戸麗市もまた、家や学校からはぐれて、ひとり街を歩く少年だった。その頃の風景、出会った人がうたになっていることもある。大阪のライブで演奏された「逃亡者」という新しい曲は、そんな少年の時代に出会った活動家(当時世の中は過激派などとも呼んでいた)のカップルの思い出がうたになったものだ。彼らが好きでよくかけていたロックの曲と2人の面影がうたになっている。彼らの何にシンパシーを感じたのか、理屈ではない、言葉では言い表せない思いが、ギターの音に、バンドサウンドになって私に届いた。