松村雄策 追悼

若松恵子

3月13日に、松村雄策さんの訃報が届いた。雑誌『ロッキング・オン』創刊メンバーのひとり。私が10代の頃、ロックと出会った頃によく読んでいた作家だ。最近は本棚で眠っている状態だったけれど、松村雄策の本は大切にとっておく本だったから、訃報を聞いて思い出すというのも申し訳ないけれど、あちこちから探し出してきて読み返してみる3月だった。

松村の著作数は決して多くはない。長編小説が1冊だけあって、その『苺畑の午前五時』の執筆には4年かかったとエッセイに書いている。それは、彼の誠実な仕事ぶりを反映してのことだったと思う。自分の心を良くのぞき込んで、かっこつけずに嘘のない言葉で語る。それは、ビートルズを聴きもしないでビートルズを批判した大人たちへの違和感が彼の中に決定的にあって、そういう大人にはならないという強い意志のもとに彼が仕事をしてきたからだろうと思う。ロックが自分にもたらしたもの、サウンドやバンドマンたちの構えの「かっこよさ」によって一気に確信した大切なものについて、言葉にしていくというのが松村の仕事だった。ビートルズファンならば松村が書く文章に「そうなんだよ」と共感したはずだし、「そういうことだったんだな」と自分が受けたものを確かめ直すことになったのだと思う。わかりやすい文章でスラスラ読めるが、そこに至るまでの苦労というものも偲ばれる。彼の書くものには、彼自身の暮らしが垣間見えるような具体的な記述がしばしば挿入されて、そういう所も彼を身近に感じさせる魅力のひとつだった。

ビートルズのレコードデビュー50周年を機に刊行された著作『ウイズ・ザ・ビートルズ』(2012 小学館)は、本当に唯一無二の、心のこもったビートルズ案内書だと思う。「はじめに」で松村が書いているが、リアルタイムでビートルズを聴いてきた世代がどんどん年を取って、やがてこの世から退場していく前に、「書いておかなければなかったことになってしまうようなこと」を書いておこうと、全オリジナルアルバムについて執筆した本だ。

これから初めてビートルズを聴いていこうとする世代にも、ちょっと興味を持って色々知りたいと思った人にも親切な、押さえておきたい確かな情報が載っている。そして、この本でも、なか休みのように、時々松村自身の物語が挿入される。ビートルズと出会って決定的に人生が変わってしまった男の子、ビートルズを北極星にして人生を生き延びてきた男の子の物語だ。

ビートルズの案内書に、なぜ個人的な物語が出てくるのか。それは、ビートルズ(ロック)が松村にもたらした最も大事なことは、自分自身から出発する自由ということだったからではないかと思う。自分のことは脇に置いて正しいことを語るのではなく、逃れられない自分というもの(それは自分が選んだわけでもないのに決定的な影響を人生に与える親という存在を含めて)から目をそらさずに、そこから出発する自由というものについて、彼は語っていたのだと思う。「三百回見ている『ア・ハード・デイズ・ナイト』を最初に見たのは父といっしょだった。これは、忘れることは出来ない。」と彼は書く。この一文は単なる思い出話とは思えないから、胸に残る。

私のように、彼の物語を通して、ビートルズをより深く理解する人も多いのではないかと思う。松村が彼の生来の感性によってビートルズから受け取った「確信」から、ブレずに人生を全うしたということに励まされる思いがする。

訃報を伝えるブログのなかで盟友渋谷陽一が書いた文章を引用する。
「松村の部屋にはビートルズのポスターがたくさん貼ってあった。「まるで学生の部屋みたいでしょう」と家族が言っていたが、本当に学生の部屋みたいだった。部屋だけみたら、そこに70歳の老人が住んでいるとはだれも想像できないだろう。松村の精神世界そのままの部屋だった。ロッキング・オンの50年は、僕たちの長い青春の50年でもある。松村は青春のまま人生を全うした。ロッキング・オンを50年続けられたのは松村がいたからだ。本当にありがとう」(渋谷陽一「社長はつらいよ」2022年3月13日)