片岡義男作品のなかの珈琲3つ

若松恵子

片岡義男さんの新刊『僕は珈琲』が1月24日に発売された。片岡さんの本を読むと、おいしい珈琲が飲みたくなる。ヤクザ映画を見た人が、肩をいからせて歩くように、珈琲を片手に私も小説の中の人になる。片岡作品のなかの、心に残る珈琲の場面を3つ引用して紹介したいと思う。

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 横断歩道を渡ってきた彼女は、ビルの前を右へ歩いた。右へすこしだけ歩くと、そこがビルの角になっていて、さっき彼女が渡ってきた往復八車線の道路からわきに入りこんでいく道路とのT字交差だった。
 ビルの角を、彼女は、わき道に沿って、まがった。このビルのこちら側だけは、アーケードのような通路になっている。ビルの壁面にその通路がくいこんだ造りになっていて、雨の日でも濡れずに歩ける。
 一画を大きく占拠しているそのビルの裏手へ、彼女は歩いた。彼女がいま歩いていく通路と、そのビルの裏にある道路との角にあたる部分は、カフェテリアになっていた。角を中心にして両側の壁は大きな透明のガラス窓だ。カフェテリアの内部が、いつも外から見えた。
 歩いてきた彼女は、カフェテリアのガラス・ドアを押し、店のなかに入った。ガラスのドアのまんなかに、クリスマスの花輪が飾ってあった。夕方の混みあう時間を過ぎた店内に、客はあまりいなかった。ハンバーガーとコーヒーの香りが、静かに店内をひたしていた。
 カギ型にあるステンレスのカウンターの手前に、テイク・アウトの窓口があった。その窓口の前に立った彼女は、ユニフォームを着た若いウエートレスに、「コーヒーをふたつでいいの」と注文を告げた。丈の高いカウンターの縁にトレンチ・コートを着た片腕をかけ、彼女は待った。
 カウンターで食事をとっている二人の外国人男性の話し声が、聞こえるともなく聞こえてきた。会社帰りの、ビジネスマンのようだった。ひとりはアメリカの英語を喋り、もうひとりの英語はフランスなまりだった。
 コーヒーが、できてきた。紙コップに入れて薄いプラスチックのふたをし、クリーマーと砂糖、それにままごとのようなスプーンをべつにそえ、紙袋におさめたものだ。
 彼女は、料金を払った。ウエートレスがくれた小さなレシートをトレンチ・コートのポケットに入れ、テイク・アウトのカウンターを離れた。
 店の外に出た彼女は、角にむかって歩いた。信号のない裏通りの横断歩道を渡るとき、ちらっと彼女は店をふりかえった。
 大きな透明の窓ごしに、店の内部が見えた。光っているステンレスのカウンターに、機能的に美しくととのえられた調理場、そして英語のメニューとカウンターで食事している二人の外国人。そんな光景が、彼女の目に入った。外国の街角で見る光景のようだった。
 横断歩道を渡りきって、彼女は右のほうに目をむけた。道路のむこうに、国電の高架駅があった。車体がブルーの電車が、その駅に入ってくるところだった。
 人通りのすくなくなった夜のオフィス街を歩きながら、彼女はコーヒーの紙袋を開いた。熱いコーヒーの入った紙コップをひとつとりだし、プラスチックのふたをとった。ふたを紙袋のなかに落とし、紙袋の口を閉じなおした。
 紙コップを、彼女は口にはこんだ。強い香りのする、熱いブラック・コーヒーを、彼女は唇のさきですこし飲んだ。

 『吹いていく風のバラッド』 18 (1981年2月 角川文庫)

トレンチ・コートの彼女は、コーヒーを飲みながらオフィス街を歩いて、最後は地下鉄に乗る。その姿が描写されているだけの物語だ。1981年当時、テイク・アウトのコーヒーを飲みながら歩くという事は、新鮮でただただかっこ良かった。

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 コーヒーに蜂蜜を入れようとしたスティーヴンは、カップもスプーンも、これまで見たこともないほどに汚れているのに、はじめて気づいた。
 黒いカップだと思っていたのだが、じつは汚れの蓄積によって黒くなっているのであり、本来は白なのだった。取手の指の触れる部分と、唇のさわるとこ、そして底の二センチか三センチほどが、ほのかに白かった。指で触れてみると、汚れの厚みがはっきりとわかった。
 スプーンもおなじだった。ぜんたいにまっ黒で、こびりついた固い汚れで形はいびつに見えた。心のなかではひるみながら、スティーヴンはスプーンで蜂蜜をすくいとった。そして、コーヒーに入れた。あまりかきまわすと汚れがコーヒーのなかに溶けだすのではないかと思い、すぐにスプーンをひき出した。
 コンロイは蜂蜜を使わなかった。
 白い部分に狙いをつけて唇を寄せ、スティーヴンはコーヒーを飲んだ。そして、驚嘆した。コーヒーは、ものすごくおいしかった。熱い芳しい液体が口から喉へ落ちていくのを感じながら、これまでに飲んだ何千杯とも知れぬコーヒーのなかで、いま自分の手にあるこの一杯がいちばんおいしい、とスティーヴンは確信した。
 自分をとりまいている自然のなかのあらゆるものが、一杯の熱いコーヒーに凝縮されていた。そのコーヒーが、自分の体の内部へ流れこんでいく。深いスリルに鳥肌の立つような、魔法の瞬間だった。
 人里遠く離れた丘のつらなり。澄みきった冷たい夜の空気。夕もやの、しっとりした香気。夜の匂い。草のうえにいる数百頭の羊たちの鳴き声の合唱。犬の声。そういったおだやかな物音が吸いこまれていく、自然の空間の広さ。もうはじまっている、高原の長い夜の静寂。こういったものすべてが、一杯のコーヒーになって自分の体の内部に流れこんだ。と同時に、スティーヴンの感覚は、コーヒーが口のなかに入った一瞬、冷たい夕もやの立ちこめる夜の広さのなかへ、いっきに解き放たれた。

彼はいま羊飼い(『いい旅を、と誰もが言った』1981年2月角川文庫 )

一杯のコーヒーによって、彼はいま羊飼いだ。
自然そのものが凝縮されているコーヒー。つつましい日常の中で、そんなコーヒーを飲みたいと願いつつ・・・。最後は片岡さんの詩集から。

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  秋のキチンで僕は

目を覚ました僕は寝室を出た
彼女は仕事にでかけたあとだった
僕はキチンに入った
食卓のいつもの椅子に、僕はすわった
キチンのなかには匂いがあった
パーコレーターでいれたコーヒー
シナモン・トースト
彼女のシャンプーおよびリンスの香り
そしてさらに、なにであるか不明の、なにかの匂い
服の匂いかな、と僕は思う
彼女の、秋の服
今日から彼女は、秋の服の人になったのではないだろうか
僕はいまでもまだ、Tシャツにトランクス一枚だ
涼しさをとおり越して、肌寒さをはっきりと感じる季節
僕は両腕を撫でてみる

日焼けが目に見えて淡くなりつつある
残念だ
どうしよう
というところからはじまる、今日という一日
キチンのなかで僕は
彼女が残していった香りを
ひとりで懐かしんでいる。

『yours』(1991年3月 角川文庫)

片岡さんの描く台所はキチンだ。珈琲を飲む場面は出てこないけれど、珈琲の香りを感じて静かに深呼吸する。