2つの評伝

若松恵子

この夏は、ちょうど同じくらいの厚さの文庫本2冊といっしょに過ごした。尾崎真理子著『ひみつの王国 評伝石井桃子』(2018年4月/新潮文庫)と大竹昭子著『須賀敦子の旅路』(2018年3月/文春文庫)だ。語られる彼女と語る彼女。それぞれ2人ずつ、合計4人の女性に触れる時間だった。

川本三郎の新刊を見つけた棚の近くで目が合った『ひみつの王国』は、著者の尾崎真理子が気になっていて手に取った。私とあまり変わらない世代の彼女が、大江健三郎や谷川俊太郎の長いインタビューを本にしていて、どんな人なのだろうと興味を持った。先に読み始めた川本三郎の新刊『それでもなおの文学』(2018年7月/春秋社)のなかに、川本氏が書いた『ひみつの王国』の文庫版解説が収録されていて、この偶然にうれしい驚きを覚えた。

川本氏の解説を引用する。「石井桃子についてのはじめての、そして、最良の本格的評伝である。200時間に及ぶインタビューと膨大な資料、緻密な取材によって丁寧に書かれている。何よりも、まだ女性が社会に出てゆきにくかった時代に、働く女性としてみごとに生きた石井桃子への敬意がある。自立した女性の大先輩への深い尊敬の念がある。それが本書を清々しいものにしている。1959年生まれの著者は、幼ない頃から石井桃子の訳した児童書に接していたという。物語の楽しさだけではなく、言葉の面白さを子どもながらに知った。著者にとって石井桃子は『幼稚園に入る以前から日本語の基礎を授けてくれた、最初の先生だ』という。」

川本氏によるこの要約に全く同感だ。また、評伝を書くにあたっては「安易に登場人物の会話を小説風にして書く」というようなことはなく「資料の引用から会話を引き出している」ことを「丁寧で誠実な仕事のあらわれである。」と指摘している点も、確かにこの本の魅力を語っていて、その通りだと思った。石井桃子への敬意に裏付けられた丁寧で誠実な仕事によって、彼女の人生の多面性が、はじめて紹介されたのではないかと思う。

あとがきで尾崎はこのように書く。『「あなたはやっぱり、調べてお書きになったのね、兵隊さんのことまで・・・」。当人の、当惑した声が聞こえてきそうだ。「でも、お話を聞いてしまったからには、書かない方が罪は重いと考えました。」私はそう応えたい。あえて黙したままとされたことも、忘れてしまいたかったであろう苦しい時代のことも書かせてもらった。』と。そして「掘り出せぬほど深く埋め込まれた秘密はまだ、残されているだろう。」としたうえで、「こんなにもあなたはこの国の幼い子どもたちのため、後輩の女性たちのため、自分でも喜びをもって存分に仕事をして、生涯をまっとうされたではありませんか」と、「何度でも感謝をもって呼びかけたいと思う」と語る。尾崎の、石井桃子への思いを感じる、心のこもった一文だ。生きるただなかにおいて、その時々の選択がどういう意味を持つのか、その後の人生をどう変えていく事になるのか、当人は知らない。ただ懸命に毎日を生きていくのみだ。人生が閉じられたあとに、その全体の軌跡を、その不思議さを評伝は書き記す。私は、自分もまた「存分に生きた」といえる人生を送りたくて、その励ましとして評伝を読む。

犬養毅、菊池寛、井伏鱒二、太宰治、山本有三、吉野源三郎、瀬田貞二、尾崎の丁寧な仕事によって描き出された石井桃子の生涯には燦然と輝く巨星たちが、時代ごとに星座を成している。「その人々と知り合った理由、交友の一つ一つに、日本の近現代史、文学史の軌跡をたどることができる」と、あとがきにあるように、時代を知っていくおもしろさもまた、この評伝の魅力であるといえる。

もう1冊の評伝『須賀敦子の旅路』もまた、著者大竹昭子への関心から手に取った1冊だった。大竹昭子の書く文章に魅かれ、彼女の新刊を探してこの本にたどり着いた。文庫によるこの新刊は、まえがきによると、かつて出版した『須賀敦子のミラノ』、『須賀敦子のヴェネチア』、『須賀敦子のローマ』の3冊を評伝としても読めるように加筆改稿し、あらたに「東京編」を加え、出会いのきっかけとなったロングインタビューを収録して1冊にまとめたものであるという。

須賀敦子の書く文章を「世間のしがらみから一歩引いて物事を見つめる彼女の眼差しには、自分のことに奔走したり、やるせない出来事に汲々としたりしている私たちの呼吸を深くしてくれる不思議な作用が感じられる」と大竹は書く。須賀敦子の文章を読む喜びを「私たちの呼吸を深くしてくれる」と書く大竹に共感する。そして、帰国してから『ミラノ霧の風景』が出版されるまでの20年間の足跡をたどった「東京編」を興味深く読んだ。「若いときから文学に憧れながらも、作品を書くのが遅くなったのはどうしてか。そのあいだにどのような時間が過ぎ、それは作品にどのように投影されたのか。そんな問いを、須賀の晩年にちかづいた自分自身の人生と重ね合わせつつ、想像した」それが大竹にとっての須賀敦子への旅だったのだ。そして、それは、生きられた人生から文学作品という虚構に飛躍する意味を追った旅だったといえる。須賀の「回想記でありながら自分のことを声高に語らず、むしろ自身を後退させて人間ぜんたいのことを綴ろうとする意志のこもった慈しみ」が人を励ますのだと大竹は語る。自分の体験そのままを語ったのでは文学にならない、文学について真剣に考えていたからこそ、自身が書きだすまでには長い時間を要したのだという事だ。

ミラノ、ヴエネチア、ローマ、東京と須賀の人生を辿ることで、「事実を虚構化することの大切さを主張した作家の事実に触れ、暴いてしまうのが怖かった」が、実際の旅を通じて作品の背景が明らかになり、納得することで「抑制された文章の奥にあるものに近づいていける深い喜びにみたされた」と大竹は書く。大竹の評伝を読む私もまた同じことを感じる。

大竹がはじめて須賀敦子にインタビューをした春の宵に、通りまで送ってくれた須賀敦子は「箱に入れてとっておきたいような夜ね」とつぶやく。そのエピソードを紹介しながら「季節がめぐってくるたびに、箱を開いて、この日の出会いと、語られたことばを思いだすだろう。」と大竹も綴る。人が人に魅せられ、会って話が聞きたいと出かけていく。そのいてもたってもいられない強い思い。大勢のなかから自分をみつけて、理解者が訪ねてくる喜び。大竹が須賀をインタビューした春の宵の情景は、評伝を読むおもしろさの象徴として、尾崎真理子と石井桃子の姿とも重なりつつ胸に残る。