15年後のモスル紀行

さとうまき

初めて僕がモスルをおとずれたのは、今からちょうど15年前の10月6日。バグダッドにずーっといて米軍に囲まれたりして、閉塞感を感じていたので、「鯉の丸焼き」が食いたくなった。イラクではマスグーフといわれる炭焼きの鯉が有名で一度は食ってみたかったのだが、バグダッドでは、核施設が貧乏な盗賊に襲われ、放射能廃棄物が入っていたドラム缶が盗まれなんとそこについていた黄色い粉を川に流してしまったらしい。なのでバグダッドの鯉を食う勇気はなかった。

チグリス川をどんどん北上してモスルまで行けばうまい鯉が食える! 朝バグダッドを出発。途中の村では、米軍とサダムを支持する部族が激しくやりあっていた。道路をふさぐ米軍の戦車の前には10人くらいの歩兵が銃を構えて通行を抑えていた。爆発音。煙が舞い上がり、銃声が響く。“オペレーション”が終わるのを待ってモスルに到着した。そして、僕は鯉を食べた。脂がのっていてうまい。炭で焼くから香ばしいのだろうな。15年の歳月がたち、そんなことを思いだす。

薬を車に積んで、遅めの出発。アルビルからモスルは、一時間もあればつく。日本のTVが取材したいという。僕が張り切って、薬を詰めている映像を撮影されていた。時間がないので、ローカルに詰めかえようとしたら、僕が張り切らないといけないらしい。モスルのイブンアシール病院で働くワサン先生に、検問のところまで薬を取りに来てもらうという設定で、「ここから先は、日本人にはまだまだ危険なので、ドクターに取りに来てもらって持って行ってもらいます」と張り切って説明している映像。我ながら優等生。「決して危険なところにはいきません。ワサン先生! 頼みます。」ということで僕のレポートはここまで。手を振って見送った。

「イブンアルアシール病院は、2014年にISに占領されていました。2016年の暮れには、ISのアジトとなっているということで連合軍が空爆をした。ISは、うちのスタッフを選んで救急車を運転させ武器を運んでいたみたいです。病院に入ってきた救急車めがけてミサイルが飛んできた。そばにいた5人も巻き添えになりました。その時武器を運んでいたのかどうかはわかりません。そして、その後年が明け1月には、イラク軍が病院を解放したのはいいのですが、今度はISが敗走する際に火を放って病院をめちゃくちゃにしていったんですよ。この戦争では、化学兵器も使われて、そのせいかがんの子どもたちが増えている」ナシュワン先生が日本のTVの前で説明していた。

骨髄移植センターを作る予定になっていた建物は医薬品の貯蔵庫として使っていた。米軍は、その建物も空爆した。中に入ってみると焼け焦がれた医薬品が大量に残っていた。焦げ臭いにおいと埃が舞い上がり、インタビューを受けるワサン先生は、せき込んでしまい、しゃべれなくなった。

病院のスタッフは、「そこには何があるかわからないから、行かないで」と止めるが、クルーたちはすすんでいく。不発弾があるかもしれないし、化学兵器を作るための原料かもしれない。クルーが歩くたびにバリバリと割れる音、足元には大量の試験官が散らばっていた。

橋を渡って西側の旧市街を見る。コンクリートの屋根は落ち、柱もほとんどハチの巣のようにコンクリートが銃弾で削られ、やせ細っているような建物ばかり。15年前に鯉を食った町の面影はない。えげつない破壊に言葉を失う。

今、僕たちの中で話題になっているのが、戦場のマクドナルド。Mのマークにouslとあってdonald’sと。つまり モスルドナルズ。Mのマークがそっくり。でも、行くと、怖いおっさんが出てきて「写真を撮るな!」と脅されるらしい。TVの人は、世界中のマクドの写真を撮って、写真展をしたこともあるという。「実は、今回モスルの企画を出したのもマクドがあると聞いて、その写真を撮りたかったんです」と打ち明けられた。地元の人にマクドがどこにあるのかしきりに聞いている。

帰りがけにとうとう見つけた!車窓から慌ててカメラを向ける。隠し撮りに成功! マクドができるくらいモスルは復興している?

モスルから戻ってきたTVの人と話をする。「(モスルはすごすぎて)どこまで(僕らの支援)活動を紹介できるかわからなくてごめんなさい」といわれた。張り切って説明したが、ほとんどカットされるかもしれないという。15分の番組だそうで、おそらくタイトルは「スクープ! モスルにできた偽マクドナルドの正体を暴く!」になるのかな。うーん。