JOY-POPS

若松恵子

JOY-POPS(ジョイ・ポップス)は、解散してしまったロックバンド、ザ・ストリート・スライダーズの村越弘明と土屋公平のユニットだ。昔、ドラマーがケガをしてバンドが止まった時に、2人でギターを持ってイベントに出かけて行った際に付けられた名前だ。ポップスなんて歌っていなかった彼らの冗談なんだろうと思っていたけれど、とりあえず付けたようなユニット名を今も使い続けているのを見ると、「これがポップスなんだぜ。ギター1本あればワクワクするような、踊っちゃう音楽を奏でて見せるよ」という気概が込められていたのかもしれないと今は思ったりする。

2000年にバンドが解散してから、それぞれの長い月日が経って、2018年に本当に久しぶりにJOY-POPSとしてのライブが行われて、コロナを挟んで再び、久しぶりにツアーが行われた。東京公演の最終日、11月29日にブルーノート東京で行われたライブに出かけて行った。病気療養のニュースが伝わっていたので、エレキギターを抱えて2人が登場した時は、本当に嬉しかった。

新しいアルバムからの曲でライブはスタートした。ただいま現在の歌を歌うのだという彼らの気持ちを感じた。中盤、ストリート・スライダーズ時代の曲「帰り道のブルー」が演奏された。昔の曲を懐かしむために行ったわけではなかったけれど、彼らが若かった頃に作ったその曲が演奏された時、今のアレンジで演奏されているにも関わらず、その曲に閉じ込められている「彼らの若さ」が、今でも燦然と輝いているのを感じて、それは不意打ちの感動だった。ライブが終わって会場を出ると、夕方激しく降った雨のせいで、洗い立てのような夜の街だった。時おり吹く強い南風を受けながら地下鉄の駅まで歩いた。

昔、ストリート・スライダーズのファンになりたての頃、彼らのことが知りたくて、音楽ライター宇都宮美穂が書いた本をワクワクしながら読んだ。『夢の跡』は、1985年の夏のツアーに同行した記録だ。3か月にわたる、30都市でのコンサート。音楽ライターとしての駆け出しの彼女と売り出し中のロックバンド。ストリート・スライダーズに魅せられた女の子の冒険譚に自分を重ねて読んだのだった。彼女も見ただろうか、2022年のJOY-POPSを。

今も大切に取ってあるその本を、久しぶりに本棚から出してきた。すっかり忘れていた新聞の切り抜きが、最初のページに挟まっていた。解散ライブについての天辰保文氏の文章だった。ストリート・スライダーズのことを、本当にわかってくれていた音楽評論家のライブレビューを、一部引用したいと思う。

「最後だからと言って、感傷におぼれることもなければ、饒舌に語り掛けることもない。
もともと、ロックンロールと言えば、こぶしをふりあげながら、客席をあおりたてる、という、類型的なイメージとはほど遠いバンドだった。
世間から弾きだされたところで華と毒を抱え、ひそかに、しかししたたかに生き続けることにこそ、ロックンロールの美しさや誇りをみる、そういうバンドだった。
聴衆にこびへつらうところは一切なかった。深い光沢をたたえたナイフのような、不敵な存在感こそが、彼らの魅力だった。この日は、かつてレコードやCDで親しんだものが、次第にファンキーなリズムを吸収し、表情に豊かさと彩りと強さを身に着けてきたことが、彼らの歴史と重なってくるような演奏だった。」

2022年のJOY-POPSも、この文章そのままの魅力を変わらずに持っていた。