放浪も破綻もせずに

若松恵子

第85回アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞した「Searching For Sugar Man」(邦題シュガーマン 奇跡に愛された男)を新宿で見た。高橋茅香子さんの「映画パンフレット評」を読んで、ぜひ見たいと思ったからだ。パンフレットに関しての評価は厳しかったけれど、高橋さんが「私はきっと、もう一度映画を観にいく。」と書いているのを読んで、その日のうちに出かけたのだった。見て良かった。現実の物語というのは、良いものだ。

1960年代の終わり、デトロイトの場末のバーでひとり歌っていたシクスト・ティアス・ロドリゲスは、大物プロデューサーに見いだされる。大きな期待を持ってリリースされたデビューアルバム『Cold Fact』は、商業的には大失敗に終わる。2枚のアルバムを残し、ロドリゲスは音楽業界から姿を消すが、アメリカ人のガールフレンドが持ち込んだことをきっかけに、彼のアルバムは南アフリカで大ヒットする。鎖国状態のようだった南アフリカで、自由を求める若い世代に支持され、本人も知らないうちに、ローリング・ストーンズに並ぶほど有名なアーティストになっていたのだった。反体制的なロドリゲスの歌は放送禁止になったりするが、アパルトヘイトへの抵抗運動に取り組む人々の心の支えとして聴かれ、運動の盛り上がりとともに広がっていった。しかし、アメリカで無名のまま消えてしまったロドリゲスについての情報はほとんどなく、南アフリカでは「失意のうちにステージで自殺した」との都市伝説だけが残されていたのだった。90年代になって、ロドリゲスの歌を聴きながら成長した2人の熱心なファンが彼をついに探し出し、南アフリカに招いて凱旋公演を行う、というのがこのドキュメンタリーのあらすじだ。

見る前にこのあらすじを知っていても、面白味が半減するという事はないと思ったので、書いてしまったのだが、それはなぜだろうか。やはり、この映画がドキュメンタリーで、現実の人々の現実の物語だという事が大きいと思う。

この映画のハイライトは、ついに、ロドリゲスその人が画面に登場する瞬間だ。ロドリゲスの佇まいが、彼の人生のあり方をまるごと伝えているように思えて、胸を打つ。どんな名優の演技にも代えられない、実在の人物が醸し出す魅力がフイルムに焼き付けられている。ロドリゲスだけでなく、彼と初めて電話で話した時の喜びを語るファンの子どものような手放しの笑顔や、凱旋コンサートに詰めかけた大勢の人たちの全身に満ちている喜び、父親としてのロドリゲスがどんなだったかを語る娘たちの表情それぞれも、ひとつひとつ魅力的だ。それを眺めているだけで楽しい。あらすじがわかっていても魅力が半減しないのは、この理由からだと思う。

伝説の人物を見つけ出す物語なのだけれど、見つかったところでおしまいという感じにはならない。映画パンフレットに「はじまりの物語」と書かれているが、同じような印象を私も持った。「あの人は今!」というテレビ番組では、輝きを失い、変わり果てたスターの姿を見ることも多いが、ロドリゲスはそんな事にはならない。

映画では、音楽業界を去ったあとの彼の人生が紹介されるが、ステージの上に居なくても(誰も見ていなくても)、彼は独立独歩に、彼のやり方で彼の人生を豊かにしてきたのだということが分かってとてもうれしかった。人知れず、彼が彼の場所で輝き続けていたということが、彼が見つかったこと以上に「奇跡」と思えた。独自の歌を歌う人は、社会にあわなくて、ドロップアウトしてやがて人生を破綻させてしまうというイメージを勝手に描いていた。ロドリゲスの歌のイメージからは、「失意のうちにステージで頭をピストルで撃ち抜いて自殺した」という方が合っているのかもしれないけれど、実際の彼は地に足をつけて生きてきたのだった。放浪もせず、破綻もせず、でも自由に生きてきたのだった。彼のその姿にファンは希望を見いだし、改めて彼のファンになり、新たな物語がまたはじまっていくということなのだろう。

この映画の影響もあり、ロドリゲスはまた人々の前で歌うようになり、この夏には大きなフェスヘの出演も決まっているという。高橋茅香子さんが紹介してくれているコンサート・レビュウによると「ギターを抱えてステージに現れた70歳のロドリゲスは、いつものように革のパンツにブーツ、黒いシャツと上着、黒い帽子にサングラスで、温かいユーモアをちりばめたトークでも満場を魅了した。」ということだ。歌う事を楽しんでほしいと、切に願う。