原発事故から13年が経った。あれほどの事故が起きたのに、我々は多くのことを忘れていく。僕自身もここ数年は、原発のことにはほとんど向き合ってこなかったという罪悪感を感じていたので、4月の中旬に車を飛ばして出かけてみた。
震災当時、僕はイラク支援のチョコレートを売っていたのだが、なんだか、日本が大変な時に、海外のことをやっている場合ではないだろうという思いに打ちのめされた。それでチョコレートを売ったお金の一部を福島支援にも回すことにして、足しげく福島に通っていた。その一つが二本松の有機農業をやっている人達との出会いだった。
福島は、有機農業が盛んだったが、原発事故の影響をもろに受けた。放射能汚染で、今まで築き上げた顔と顔の見える関係を大事にした提携が一気に崩壊、消費者が半分以下にまで減った。福島で農業、有機農業を続けるのは困難ではないかと悩みながら、それでも作ってみなければ分からないと種をまき続けたという。僕たちも、ガイガーカウンターを片手に一緒に畑仕事を手伝いながら、放射能の勉強会を企画したりした。しかし所詮、部外者であり、ただ、彼らの悩みや苦しみをたまに出かけて行って一緒にお酒を飲んだりして聞くだけに過ぎなかった。
原発に頼らない生活を福島から発信しなくてはならない、という彼らの強い意思。そして僕ら東京の人間は、東京の生活が、福島原発に頼り切っていたことに恥じた。そこで、話に上がったのは、ソーラー発電だ。農地に太陽光パネルを設置し、下では畑を耕す(ソーラー・シェアリングという)。電機は売電する。2018年にはチョコレートの売り上げを300万円ほど寄付して、ソーラーパネルの購入に貢献した。パネルの設置作業を手伝ったのを覚えている。
今では、年間200万円をこえる売電収入が出ているそうだ。有機農業研究会のメンバーである近藤さんはサンシャインという会社を設立し、このソーラー・シェアリングを発展させている。麦を作り、クラフトビールも製造、さらに牛を購入して放牧させ、ソーセージも販売している。このビールを買いに行くというのが今回の旅の目的でもあった。
話は変わるが、僕は、去年からイラクへ行きはじめ、メソポタミアの研究を行っている。研究というほどものものではないのだが、紀元前3500年も前のイラクに人類最古の文明が栄えたことが気になってしょうがないのだ。シュメール人はすでにビールを発明して日常的に飲んでいたらしい。彼らは、楔型文字を発明し、やたらと粘土板に書き記していった。神々の神話から、料理のレシピ、ビールの作り方など。一説によると、彼らのルーツは縄文人だと言われている。あるいは、シュメール人が日本にたどり着いたとの説もある。にわかには信じがたい話だが、世界はつながっている感があっていい。最近、僕は、現代社会にはもううんざりしてしまったので、メソポタミアの時代のような、ビールを飲んで暮らしていきたいと思ったわけだ。
再会した近藤さんに、「メソポタミア風味のビールを作ってみたいんですけど」と相談すると、「いいですよ、イラクに恩返しできるなら!」と言ってくれた。恩返し! そうか、なんだかすっかり忘れていたが、僕は、チョコを売っただけでなく、恩も売っていたのだ。あらためて、農民の皆さんの当時の絶望の大きさを感じた瞬間だ。たとえちっぽけな支援でもしっかりと受け止めてもらえていた。なんだか僕は、この恩返しという言葉がうれしくなって、帰りに縄文資料館に立ち寄ることも忘れてしまい、温泉につかって帰ってきたのだった。