よみがえった「お兄ちゃん死んじゃった」

さとうまき

イラク戦争当時、ブッシュ政権で国務長官を務めたコリン・パウエルがコロナで亡くなったというニュースが飛び込んできた。

2003年1月29日、僕はバグダッドにいた。
ブッシュ大統領は、一般教書演説でイラク攻撃を訴えた。
いつ開戦宣言するのか、バグダッドの人たちはかたずをのんで見守っていた。僕が泊まっていた町中のぼろホテルにはパソコンが置いてあって、インターネットがつながっていた。ホテルの従業員がのぞき込んできて、「なんて言っている?」と聞いてくる。
「『2月5日に安保理で、パウエル国務長官が、イラクの違法な兵器開発計画と査察からの隠蔽、テログループとの関係について情報を示す』そうだよ。一週間は大丈夫だ」

そして、2月5日になるとバグダッドの人たちは、もっと緊張してTVを見ていた。僕ももう、明日にでも戦争が始まるのだろうと思った。ただ、パウエルの持ってきた証拠があまりにも信憑性がなかった。そもそもイスラム原理主義のオサマ・ビンラディンと、世俗的な社会主義を掲げるサダム・フセインが手を組むはずがない。アルカーエダのザルカウィというテロリストがイラクにいる証拠を説明していたが、その場所はクルド自治区であり、サダムの勢力が及ばない地域だ。でも日本を始めとしてそんな細かいことはどっちでもよくて、アメリカがそういうんだからそうでしょ、みたいな雰囲気で、やっぱり戦争になるんだろうか。って、僕は、どうなるんだろうなあ!このまま戦争に巻き込まれてしまうのだろうか?

しかし、さすがにパウエルの証拠はインチキ臭く、国際社会も、ちょっと待てよ?ということになった。演説の中で、引用した英国の諜報機関による「大量破壊兵器開発にかかる機密文書」は、実は、すでに発表されていた大学院生の論文だったことがすぐにばれてしまう。

そして、パウエルは、「カーブ・ボール」と呼ばれるドイツに亡命したイラク人が「フセイン大統領はトラックで移動が可能な生物兵器を所有しており、兵器工場を建設している」と証言したことも紹介したが、のちになって、「カーブ・ボール」は食わせ物で、難民として永住権を取りたいがために、ドイツ政府に嘘をついたことが判明する。

そういうわけで、パウエルは、とんでもない嘘つきで、イラクをめちゃくちゃにした張本人の一人として歴史に名を連ねた。本人は、のちにそのことを「人生最大の汚点」として反省している。

日本政府の対応もひどかった。原口国連大使が2月18日の国連の会合で、「日本政府としては、国際協調を重視しており、イラクが非協力であり義務を十全に履行していないという事実を踏まえ、国際社会の断固とした姿勢を明確な形で示す新たな安保理決議の採択が望ましいと考えております」と述べて、アメリカがイラク攻撃を容認する決議案をだしたら、国連は一致団結して賛成するように訴えたのだ。原口大使は、のちにパウエルのように、「人生最大の汚点」とは思わなかったのだろうか?

反戦運動が世界的に盛り上がっていった。戦争をやめさせるチャンスは十分にあった。僕は、バグダッドの子ども達に絵を描いてもらって日本で紹介することで、戦争反対の機運を高めるミッションを実行していたのだ。

安保理は、フランス、ロシア、中国、ドイツが、イラク攻撃に反対したために、国連の支持がないまま、アメリカとイギリスは、大量破壊兵器が見つかることを信じて戦争を始めてしまった。大量破壊兵器=神なのか??

そんなある日、出版社が僕のところに来て、「谷川俊太郎さんの詩にイラクの子どもの絵を使いたいので、貸してほしい」というのだ。聞くところによると別に谷川さんがイラク戦争の詩を書いたのではなく、今までの詩を集めて絵本にするのだという。なんか違和感があった。「そんなんじゃだめです。戦争を見たイラクの子どもたちが谷川さんの詩を聞いてどう感じるのか。そういうシンクロしないと意味がないんじゃないですかね」

それで、少し落ち着きだした2003年の7月に一週間くらいイラクの子ども達とワークショップをしてたくさんの絵を描いてもらったのだった。編集の仕方が気に入らず、結構編集者とその後ももめて出来上がったのが「『おにいちゃん死んじゃった』イラクの子どもたちとせんそう」という絵本だ。

今回、ようやく子どもたちの絵が僕のもとに戻ってきた。当時は、あちこちから展示したいという依頼があったが、イラク戦争から18年も経って、すっかり忘れ去られてしまっていた。絵を手にとると、わくわくしてくる。原画は、まるで生き物のようなもの。子どもたちの「イラク」! 僕の「イラク」がそこにあった。

ワークショップは、夏休み中の音楽学校の教室を自由に使わせてもらって、住み込みで働いていた用務員のサエッドさん一家の子ども達が毎日来てくれた。当時8歳だったムハンマッド君の絵に書き込まれた文章が楽しい。


  大切なもの

ともだち
お父さんとおかあさん
勉強
学校
学校大好き。とっても楽しいんだもん。
僕は、学校で勉強し、本を読み、友達と遊ぶんだ。
学校って、なんて素晴らしいんだろう。学校大好き。とっても楽しいよ。僕は学校で本を読んでいるよ。

このムハンマッド君は、イラクがその後地獄のように内戦化しほとんど外に出られない時も学校に住んでいたから、音楽を続けることができた。今でも音楽を続けていて、先生として教えていたり、バンドも作って海外のフェスにも出ているというからうれしくなってくる。

イラクでは、10月に国政選挙があり、子どもたちも立派に成人して、親になっている。選挙に行くのか聞いてみたら、皆行かないと言っていた。理由は、「イラクはだれを選んでも汚職だらけ。投票する人がいないよ。この国には未来がない」という。

投票率は41%。サダムの時代は、サダムしか選択肢はなく、投票率100%の得票率100%という驚くべき数字だった。こういう独裁者を排除して、アメリカがイラクを民主化すると言って始めた戦争だ。支持した日本の責任は重い。日本は、いまだイラク戦争の攻撃の是非を検証せず、日米関係が良好になったという理由で、「アメリカのイラク攻撃を支持したことは正しかった」としている。日本でも昨日は衆議院選挙の日だった。投票率は、55.78%だった。外交や国際平和が争点になることはなかった。だから、僕はこの絵を皆さんにつたえていかねばならない。


11月23日-28日まで 東京江古田の古藤という画廊で「イラクの子どもの絵」の展示を行います。アラブ音楽の演奏などもあります。詳しくはこちら
http://chalchal.html.xdomain.jp/Chalchal/index.html