友人が、シリアの孤児院を支援していると聞いて手伝うことにした。10年間で40万人が死んでいる内戦だから戦争孤児も相当数いる。
トラの年賀状を売っていて思い出したのがタイガーマスクだ。そういえば、2010年に伊達直人と名乗る人物が各地に表れてランドセルや文房具などを寄付していくという現象がはやったことを思い出した。
アニメのタイガーマスクは、戦争孤児と思われる伊達直人がちびっこハウスという孤児院で暮らしていたが、ある日、抜け出して「虎の穴」という悪役レスラーを養成する組織で訓練を受ける。えげつない悪役レスラーは話題性もあり商売的にも儲かるというわけだ。世界中から、みなしごのようないじめられて世間に憎しみを抱くような青年をスカウトして地獄のようなしごきで鍛える。半分は訓練に耐えられず死んでしまうという。大人になった伊達直人は悪役レスラー、タイガーマスクとしてアメリカでデビューを果たし、日本に凱旋する。50%は上納金として「寅の穴」に納めなければならない。久しぶりにちびっこハウスを訪れた伊達直人は、ハウスが借金で火の車になっているのを知りファイトマネーをおいていく。最初はちゃんと上納金を収めていたが、ちびっこハウスの借金は利子が膨らんでしまい、伊達直人は上納金にも手を付けてちびっこハウスへおいていった。最初は、「必ず上納金を払うから」と許しを請うタイガーが結構せこい。だが、マネージャーのミスターXは許さなかった。裏切り者にされて刺客を送られる羽目になったタイガーマスクだが、ベビーフェースに転向すると、あちこちで施設などにお金をおいて行って、みなしごたちの幸せを願うという話。
広島に巡業に行った時は、原爆資料館を見学して、ちびっこハウスの子どもたちに「このような悲劇が絶対にあってはならない」ことを教えたいと、原爆ドームのお土産を探し回る。しかし、原爆ドームは売り切れ。内職でドームを作っている職人さんの家まで行って売ってくれと頼む。卸し値が1500円と聞き、「僕は、お店の定価の3500円で買うからさあ。うってくれよ」というが、「あんたが3500円で買ってくれても一回だけじゃないか。お店の人は毎日買ってくれるんだ」と断られる。平和記念公園で休んでいると、職人の子どもたちがおなかをすかせてやってきた。昼間は仕事の邪魔にならないように外で過ごす子ら。伊達直人が不憫に思ってごはんをご馳走しようとするが、子どもは、「哀れみはいらない。100円持っているから」と粋がる。公園のベンチで勉強している子どもたちを見て、伊達直人は民生委員と掛け合い、子どもの居場所づくりのためにお金をおいていく。第50話「此の子等にも愛を」
つまりこの話で伝えたかったことは、社会から愛されずひねくれて育った子どもたちは、力が欲しい。原爆ですら容易に受け入れるに違いないから、正しく生きてほしい、核兵器を廃絶したいというタイガーの願いが込められているのだろう。ここら辺は、職業がらイスラム国との対比をしてみたくなるのだが、とりあえず解説してみる。
僕はリアルタイムでTVで見ていたが、孤児院の話はあまり覚えていない。改めて見てみるとリアルに貧困と闘う子どもたちが描かれている。番組の終わりで流れるみなしごのブルースは、直人が、終戦直後の瓦礫の中をさまよい、靴磨きをしている姿を回想している。今のシリアにつながるのだ。ダマスカスの孤児、ヌール(中学一年生)が話してくれた。
今思うと、私の家は家庭崩壊状態でした。父は戦争で5年以上前から行方不明です。父については写真と祖母から聞いた話以外何も知りません。母は、いなくなった父を憎み、私たち子どもたちを理由もなく罵りました。母には責任感が一切ありませんでした。母は父と結婚する前に一度結婚をしていました。その時にできた子どもたちに別れを告げ、父と再婚しました。しかし父が行方不明になった後、私たちもまた捨てられることになりました。私と4人の兄弟姉妹が稼ぎ手にならないと気づいた母は、突然姿を消しました。その後別の男性と結婚したと聞いています。
私たちはダマスカスの田舎の家を失い、公園にあった廃屋に住んでいる祖父と祖母の元に移り住みました。廃墟のような家は半分破壊されており、夏の暑さも冬の寒さにも耐えられません。最低限の生活を営むための公的サービスも受けられません。普段使う水はもちろん、安心して過ごせる家もなく私たちは苦しんでいました。病気の弟が治療を受けられずに病状が悪化して死んでいきました。腰が曲がり年老いた祖父は、パンの値段にもならない小銭を必死に働いて稼いでいました。私たち兄弟は生活の為に路上で物乞いを始めました。見知らぬ人に物乞いをして食べ物や小銭を手に入れ、朝から晩まで恥ずかしく、見苦しい毎日を過ごしていました。
日々が過ぎ、私たちは保護センター(Bee ways)に移り住み、私たちと同じような悲しい過去を持ちながらも、素朴な夢をもち生きる子どもたちと一緒に暮らすようになりました。ここで私たちは生きることの本当の意味を知りました。誰かが自分に注意を向けてくれる喜びを知り、また愛情をもって受け入れてもらいました。空っぽだった胃袋を満たす食事にありつける幸せ、暖かくて清潔で柔らかいベッドで寝られる幸せを手に入れることができました。普通の生活がしたいというシンプルな夢は叶えられ、学校に通うことでより大きな夢を持つことができました。
このシリアの孤児院の話は、日本の虐待の話ともつながっている。タイガーマスクの時代には、家庭内の虐待という話はほとんどクローズアップされていなかったような気もする。残酷な社会が敵だった。で、ちょっとタイガーマスクにはまり、寅年だし、新年早々大学生たちと駅前で募金をやるのに、寅のマスクをつけてみたのだが、殆ど受けなかったし、タイガーマスク運動の起爆剤にはならなかった。コロナでぎすぎすしているなあ。