灰とダイヤモンド、明日はワルシャワ

さとうまき

2023年、2月6日 大きな地震がトルコ、シリアを襲った。そのおかげで、わさわさと騒がしくなり、旅に出る計画がなかなかまとまらなかった。もちろん行き先はイラクである。今年はイラク戦争から20年なのだから。イラクの土地に初めて足を踏み入れた時の不思議な感覚。この土地には、悪魔が宿っている。足元からそう感じた。土地は生き血をたっぷりと吸い込んで肥沃になっていく。アメリカに復讐を誓う人々はテロに身を染め、「神は偉大なり」と叫び人質の首を切断する。生き血が渇いた大地を潤してきた。僕は、よく夢をみた。黒装束で黒い中折れ帽をかぶった男が現れ、僕を指さす。「お前は、これ以上かかわるな。さもなければ、ぐうの音も言えないようにしてやる」ここはイスラム国なのか?

気が付くと4年たっていた。コロナがどうのこうので、4年もイラクを離れていれば、あの男に言われなくても、かかわる理由などとっくになくなってしまい、ぐうの音も出なくなっていた。記憶が薄れるとともに、自分の存在すら信じられなくなってしまうものだ。本当に自分はイラクにいたのだろうか?「そろそろ、戻らないといけないなあ」というわけで、僕は旅に出ることにした。しかし、地震がトルコ・シリアを襲い、トルコとシリアに行くのが最優先じゃないか、と悩み始め、ああだのこうだの考えているうちに時間は過ぎ去り、もともと円高や燃料費の値上げで高騰した航空券はさらに高くなっていた。

旅行会社に工面してもらったチケットは、ワルシャワ経由?だった。トランジットで8時間くらい時間がある。これは、旅行のおまけとしては少しうれしかった。というわけでいきなりポーランドに行く羽目になったのだ。ポーランドと言えば、隣接するウクライナから多くの難民を受け入れているということで、最近はよくニュースにも登場する。しかし、僕はそれよりも、昔買った水牛楽団のテープ、「ポーランドの禁じられた歌」に入っているいくつかの曲や、映画「灰とダイヤモンド」(1957年)を思い出した。

1980年代、大学生だった僕は、早稲田に下宿していたので、高田馬場のACTミニ・シアターという畳で寝そべりながらのオールナイトを見に行ったり、池袋の文芸座ルピリエなんかもよく歩いて通った。映画の歴史に追いつこうと昔の白黒映画をむさぼっていた時期があった。あの昭和の名画座の雰囲気は楽しかった。今は便利に家でネットが見られる時代だがなかなか名画となると配信がないのは寂しい。その時に見たのが「灰とダイヤモンド」である。1945年5月8日、ポーランドを占領していたナチスドイツの降伏の一日を描いた映画である。主人公のマチェックは、パルチザンの兵士であるが、敵はもはやナチスドイツではなく、ナチス後に支配するだろう共産党だった。しかし、当時は複雑な歴史とは関係なしに、マチェックのカッコよさだけが印象にのこっていたのだ。

朝の6時に飛行場につき、乗り継ぎ時間が6時間くらいあったので、バスで町中まで出てみた。ワルシャワの旧市街は、ワルシャワ蜂起でナチスドイツに返り討ちにされ街は破壊しつくされたが、ポーランド人は丹念に昔の通りに町を再現した。その情熱に世界遺産にも登録されている。お土産屋さんには、ワルシャワ蜂起を描いた絵ハガキや女性兵士の置物が売っている。そのわきに金貨をたくさん持っているユダヤ人の人形もあった。
「これはなんです?」
「ユダヤ人はお金にがめついからね」と店員が説明してくれた。
「そんなユダヤ人を差別しても大丈夫なんですか」
「ただのジョークですよ。ポーランド人はジョークが好きなんですよ」と説明してくれる。
町中にはウクライナの国旗もちらほら飾ってあった。
「ウクライナ人? 彼らはお金をねだってくるが、実は結構お金持ちだったりしてもううんざりしている」と通りすがりの老夫婦が文句を言い出した。

実は、1996年にもポーランドを旅したことがあった。その時は、アウシュビッツを訪れるのが目的だった。中東を旅した最後の仕上げだった。2年間シリア政府の工業省で仕事をしていた時、シリア人の同僚たちは、「ホロコーストなんかなかった。あれはユダヤ人がでっちあげたものだ」。彼らはそう信じていた。その言葉は衝撃的だった。だから僕は、アウシュヴィツとビルケナウに行く必要があった。あの匂いを嗅ぐために。それは、人間の内部に誰しもが持ついやらしいかび臭い匂いだった。今でも覚えている。

僕がシリアを去って15年たったら内戦が始まった。10年間で40万人が殺された。難民は600万人をこえた。瓦礫と化した街並みはいつになったらワルシャワのように元に修復できるのか? シリアの禁じられた歌は私たちを魅了するのだろうか? 2013年には、ヨルダンで次から次に運び込まれる手足を失った子どもたちの支援を行っていたし、自由シリア軍の兵士たちの話を聞いて早くシリアに民主主義がもたらされればいいなと思う反面、彼らが殺されていくのがつらかった。ウクライナにしても、もちろん彼らが国を守るしかないのだが、人が死ぬことがただ単に悲しくてつらい。憎しみ合う人々を見るのがただ辛い。レジスタンスに高揚するよりもただつらいのだ、そんなことを考えながら飛行場に戻るバスの窓からチューリップの市場が見えたので思わずバスを降りてしまった。うっとりと美しい花に見とれているうちに時間が過ぎ僕は慌ててバスに飛び乗った。しばらくすると、警察官が2名乗り込んできた。これはやばい雰囲気だ。ゲシュタポが、バスに乗り込んできた。こういう時レジスタンスならどうする?窓から飛びおりて逃げるか?
いやいや、さりげなくパスポートを出した。
「切符を見せてください」
「あ、切符ですね。」
しまった! 僕は無賃乗車がばれて罰金を取られる羽目になった。正確には切符を買う時間がなくて飛び乗ったのだが、駄々をこねるとどこかに連れていかれそうな怖い警察官だったし、飛行機の時間が迫っていたのでおとなしく罰金を払った。まあ、旅の出だしとしてはあまりよくないが、気持ちを切り替えて旅を続けようと思う。