見えないガザを歩く(2025年12月1日)

さとうまき

一日だけ時間ができたので、スデロットを訪れることにした。スデロットはガザ北端に隣接し、丘の上からガザを見下ろせる町だ。2014年の戦争では、イスラエル軍の空爆を見学しにユダヤ人が集まって、歓喜していたことから「恥の丘」とも呼ばれている。そんな場所に自分が行くのは気が咎めた。停戦合意はしたもののガザの友人からは、状況がひどいことを聞いていた。迷った挙句、少しでもガザに近づきたい気持ちが勝り、電車を乗り継いで向うことにした。

スデロット駅につき、ガザ方面へ向かって歩いていくと、ニル・アムというキブツにつく。中をのぞくと、銃を持った警備員に制止され、仕方なく諦めて歩いて帰ろうとすると、先ほどの警備員がジープで追っかけてきて、案内すると言ってくれたのだ。キブツを通り抜けると、ガザが見える。破壊され、瓦礫の山となった町がはっきり見える。手前にはエレツ・チェックポイントにつながる分離壁、奥には地中海が見える。波音が聞こえてきそうな距離だが、上空ではドローンのZZZZという音が鳴り続けてる。

警備員の若者は、「君にはわからないだろうけど、とても複雑な気持ちなんだ。僕はネタニヤフが大嫌いなのに、非難しないようにと言い聞かせなければならなかったんだ」と複雑な心境を打ち明けてくれた。すると、ドカーンと大きな音がして、煙がまいあがる。ドローンによる空爆だ。

これだけ、多くの民間人を殺してこれからイスラエルはどうするのか。僕は、イスラエル人が実際何を考えているのか、聞いてみたかったが、本音を聞き出すすべを知らなかった。しかし、警備員の青年は、問わず語りに話し始める。

彼は予備役で今回も何度かガザに入ったそうだ。「ガザの人たちは、ハマスに支配されて、彼らに逆らえば、仕事ももらえない、食っていけない。最悪殺されてしまうんだ。ハマスはユダヤ人を憎むように教育する。ハマスの軍服を着てなくても、僕らがガザに入って行くと武器を手にして殺しに来る。だから民間人も同じなんだ。だから、ガザの市民をハマスと切り離すために僕たちは戦っている。僕たちは、ガザを占領しようとは思わない。彼らにも僕たちのように国ができればいいと思うけど」「僕の家族や友人が殺された。僕には、ガザから働きに来ていたパレスチナ人の友人もいたけど、彼らはガザで生きているのかどうかわからない。難しいけど、僕たちは、平和に暮らしたいんだ」別れ際には、「本当に、見に来てくれてありがとう」と感謝の気持ちまで伝えてくれた。

時間のない中で、タクシーを拾って、ハマスの襲撃を受けた警察署にも立ち寄った。そこは、建物はすべて撤去され、公園になっていた。戦闘を伝えるようなものは残っておらず代わりに18本の大きな柱が天に向かってそびえている。18はヘブライ語で「命」という意味があるそうだ。2年が経ち、この町は、日常を取り戻し、過去の悲劇よりも未来に向かっていることを強調していた。ユダヤ人の団体が入れ代わり立ち代わり訪れて説明を受けていた。避難していた町の人々も帰還して10月7日は勝利の歴史として過去のものになったのだろうか? 上空には常にZZZZというドローンが飛ぶ音。イスラエルの市民にとっては、自分たちを守る音。ガザの人には命を脅かす音だ。

電車にのり、テルアビブで下車。人質広場についた。戦争が始まってから「Bring them home now !」と掲げ、人々が集い、ポスターやモニュメントを展示して人質解放を訴えた場所だ。ガザで殺されているパレスチナの子どもたちのことには触れず、きちんと交渉をしないネタニヤフ政権に対する抗議の意味合いが強かった。最後の20人が生きて帰って、終わったという安堵感が漂う。「お祭りの翌日」といった雰囲気もあった。人質広場のボランティアのおばさんは、これからは、ガザ戦争の「正義」を伝えていくことがミッションだという。「イスラエル軍のジェノサイドはありません!問題はハマスです。彼らが病院や学校の下にトンネルを作るからこのような悲惨な結果になったのです」ととてもソフトに語り掛ける。

多くのイスラエル人にとってガザの人たちは、本当に「見えない存在」になっていることを強く感じた。先日、日本で、イスラエル関係の勉強会があり、イスラエル政府からは「戦争は終わりました。自由貿易協定の話を進めましょう。ワーキングホリデイ協定を締結して日本の若者の皆さんがイスラエルに来て働いてください。日本の外務省は、危険度2から1に下げて、日本人がたくさん観光に来るようにしてください!」とこれからの日本とイスラエルの友好関係の構築を強調していた。しかし、空らの口から、ガザが語られることはない。

ガザでは、国連も、NGOもイスラエルによって活動が制限されたままだ。家屋は破壊されたまま。避難所では、寒い中テントすらも支援がなく自分たちで調達しなければいけない状況である。日本では報道も少なくなり、我々日本人も、ガザの人々が見えなくなるのは簡単なのである。