仙台ネイティブのつぶやき(38)身欠きニシンの友

西大立目祥子

親しい友人が、また一人亡くなった。
今年はいったいどうしたというんだろう。4月からずっと毎月のように誰かが亡くなっている。誰しも、こういうことが続く年があるんだろうか。それともじぶんが歳をとったということなのか。日常の時間に、立ち止まって考えさせられるような休止符がふっと入ってくるような感じだ。

亡くなった友人は68歳、男性。最初は、奥さんと知り合い、いろいろ話をするようになったのだが、引っ越して家がごくごく近くになって、家族とも親密につきあうようになった。もう30年くらい前のことだ。

残業してくたびれてバスを降りると、その友だちの家の玄関の白熱灯がぼおっと灯っている。吸い込まれるようにして、「こんばんは」とガラスのはめ込まれた引き戸を開けて上がり込んでしまう。まだ小さかった娘たちは、もう隣の部屋で寝息を立てていて、薄暗い明かりの下で晩ご飯の残りをおかずにビールをごちそうになるのだった。しゃべっていると、いつのまにか外から帰ってきた飼い猫のレイ(本名はレーニンというんだった)が膝に乗ってくる。う〜ん、重い、といいながら2杯目に手を伸ばす。けっこうおなかが満たされたところで、すぐそばのじぶんの家に帰った。

たまに隣の部屋の娘が目をさまして起きてくることがあって、夫婦のどちらかが寝かしつけに行ったまま寝くずれてしまうことがあった。そうかと思うと、ガラス戸を開けると知り合いが飲んでいることもあった。あれれ、こんなところでといいながら同じように上がって話し込む。誰かれいつも人がいたのは、奥さんが塩竈という港町の老舗旅館の娘でいつも大勢家に人がいたのと、その友だちは北海道の炭坑の出身でおそらく濃密な近隣とのつきあいの中で育ったからなのかもしれない。

いったい何を話していたんだろう。本の話や建築の話、政治のことや人の噂なんかだと思うのだけれど、いまいち細部が浮かび上がらない。
それよりずっとくっきりと浮かぶのは、その友だちの料理だ。当時はまだサラリーマンだったから、そんなにひんぱんに料理をつくっていたとは思えないのだけれど、のちに少し離れたところに引っ越し、やがてフリーランスの大工になってからは、晩ご飯のほとんどを友人がつくるようになった。

最初の一撃は、北海道の姉さんが送ってきたという漬物だった。材料はキャベツと大根とニンジンと身欠きニシン、そして麹。麹の白いつぶつぶと黒っぽいニシン、キャベツの淡い緑の彩りがきれいで、麹のまろやかさにニシンの旨味が加わる。これは北海道の人たちが冬支度をするときに用意する漬物らしかった。東北だったら冬支度といえば白菜漬け、たくあん漬けになるのだろうが、漬物にニシンが加わるのがいかにも北海道だ。身欠きニシンて何ておいしんだろう。独特の味わいも身のほぐれ方も、細かい骨までもが好きになり、私自身もよく料理に使うようになった。

シシャモもしょっちゅう登場した。衣を付けて揚げて南蛮漬けにしたり、マリネにもしたりする。そして昆布。煮物には必ず昆布が入る。昆布とニシンをやわらかめに煮合わせるのもおいしい。こうやってあげてみると、生まれ育った土地の食べ物を一生背負って食べ続けていたんだなあと思う。そういえば、学生時代に奥さんと知り合い結婚して、最初にシシャモを焼いて食卓に出したとき、奥さんに「これ、人の食べるものなの?」といわれてショックだったといってたことがあった。北海道の人たちは、本州に暮らす人を「内地の人」とよぶというのも教わったけれど、その生活文化の違いに愕然としたのかもしれない。

もう15年くらい前くらいからだろうか。おせち料理をトレードするのも楽しみだった。初雪が降るころになると、今年は何つくるかなぁと飲むたび料理本や新聞の切り抜きを引っ張り出して話し出す。課題は定番に加えて何をつくるかだ。「よし、今年は鶏肉の八角煮だ」などと結論を出す。やがて大晦日。私が5品つくって持っていくと、友だちは7品も8品もつくって待っている。交換すれば、お重箱に入りきれないほどの充実のおせち料理のできあがり。同じお煮しめでも、全然違う切り方に味つけなのがおもしろかった。もちろん友だちの方がずっとおいしかったけれど。そして、お正月は、今年のおせちはここが失敗だったといいながら、また飲んだ。

友だちが一人死ぬということは、じぶんの中の関心や楽しみが一つ欠落していくようなことなのかもしれない。こんなに手の内を見せ合うような、おもしろがってやる料理の交換を、この先誰かとすることがあるだろうか。身欠きニシンのあの料理、シシャモのあのマリネ食べさせてよ、といっても、つくっておくから飲みにおいでよという人はもうこの世にいない。
奥さんももちろん大切な友だちだから、来年のお正月は喪中だけど、静かに2人で飲もう。友だちの名は久保久。30年くらい前、仙台駅前にあった名物書店「八重洲書房」の営業マンだった、といえば、読書好きの人の中にはあのちょっととぼけた味の風貌を思い起こす人もいるかもしれません。