911の思い出

さとうまき

911から20年がたった。僕は当時、JVC(日本国際ボランティアセンター)という団体で、パレスチナ事業を担当していた。ちょうどその日は、とある宗教団体に寄付をお願いに伺うことになっていたのだが、朝から台風かなんかで大雨が降っていた。

革靴が濡れるのが嫌だなあと、どうせなら傷んでもいい古い靴を探しだしてきた。しかし、雨が滝のように流れてきて、右側の靴底がなんとすっぽり取れてしまったのだ。しばらく歩くと今度は左側が取れた。つまり、見た感じは靴を履いているのだか底が取れてしまい、裸足で歩いているのと同じだった。なんともみすぼらしくて恥ずかしい。電車に乗っても気づかれないようにひやひやした。なんか、今日一日はろくなことが起きない予感すらしてきたのだった。立川に着くと駅ビルの中のデパートが開く時間だったので慌てて駆け込んで靴を買った。店員のお嬢さんに、「(はいていた靴)お持ち帰りになられますか?」と真顔で聞かれて、「捨ててください」と答えるのもとても恥ずかしかった。

夜になると雨は止んでいた。友人の妹がアーティストで、パレスチナの子どもたちの絵の展覧会をやろうということになり、彼女のアトリエ兼アパートで打ち合わせをやっているときだった。ドアをたたく音がして、近所のアーティストが駆け込んできた。

「大変だ、NYのビルに飛行機が突っ込んで燃えている!」変なことをいう人だと思った。TVをつけたのはいいが、室内アンテナのおんぼろのテレビで電波も乱れ、ノイズだらけでよく映らない。「映画?」

そうこうしているうちにもう一機がビルに突き刺さるように突っ込んできた。一体何がどうなっているんだろう。

ともかくなんだか大変なことになりそうで、慌てて家に帰ってTVをつけると、今度は、ビルが倒壊しはじめ、見る見るうちに崩れていったのだ。不覚にも「美しい」とさえ感じてしまった。

メディアは、犯人捜しを始めていた。映像では、パレスチナ難民キャンプで、大喜びで踊りながら飴を配っている人たちが映し出された。(後から湾岸戦争時にイラクから放たれたスカッドミサイルがテルアビブに着弾した時の映像だと判明する)翌朝の読売新聞には、「パレスチナ過激派の犯行か?」という見出し。記事には、DFLP(パレスチナ解放人民戦線)は、犯行を否定していると書かれているのに。

事務所に行くとさっそく電話がかかってくる。「テロを支援しているパレスチナを支援しているとはけしからん!」となぜか叱られる。ある程度そういう電話は予期していたが、今度は、画廊から電話が。「すいません、パレスチナの子どもの絵の展覧会は中止してほしい。風当たりが強くて」
まあ、しょうがないなあ。

実は、イスラエルとパレスチナの衝突は、一年前からエスカレートしており、イスラエルは、「テロとの戦いだ!」と言って戦闘機でパレスチナの村々を攻撃。多くの民間人が犠牲になっていた。本当はパレスチナと領土をめぐっての戦いが続いているのだが、「テロとの戦い」と言ってしまえば、パレスチナ人の独立や難民の帰還権を認めなくてもいい。イスラエルの民間人への攻撃はエスカレートしていき、国際社会では「イスラエルがやっているのは国家テロだ」と批判する論調も見られた。

しかし、911でブッシュ大統領が、対テロ戦争を掲げ、「我々側につくのか、テロリスト側につくのか」と問いかけると、「テロと戦うイスラエル」というイメージ戦略に出て、「国家テロ」という言葉は消え失せてしまった。「テロとの戦い」では、いくら民間人が犠牲になろうがそれはお構いなしという「哲学」は、アフガンやイラクにも拡大された。覚醒したブッシュ大統領は、アフガンを攻撃して、イラク戦争に突入して、民間人の犠牲者を出しまくり、破綻国家を作ってしまったのである。気が付けば20年だ。僕は、イラクでは散々な目にあったが、アフガンにはかかわることはなかったので、一体アフガンがどうなっているのかはよく知らなかった。

今年になって、JVCがアフガンの活動を終了すると発表。多分、終了するということはもう支援がいらない状況になったのかと思っていたが、米軍が撤退を表明するとタリバンがアフガンを再び制圧してしまい、一気に振出しに戻ってしまった。

JVCは、HPで約20年にわたってこれまで現地に関わってきたNGOとして、アフガニスタンを取り巻く状況と、国際社会、日本政府やマスメディアの対応に関して、意見を表明している。米軍占領下の20年の検証と、タリバンを孤立させてはいけないというのが趣旨だ。確かにそのとおりかもしれないが、じゃあ、市民レベルでどうタリバンと付き合っていくのか、そう簡単じゃないだろう。この20年、JVCが、どうタリバンと付き合ってきたのか気になるし、これからどう対話していくのだろう。ここぞというときに、活動を終了しているって残念でならないのだが。中村哲さんのように体を張ってほしいが、もうそういう時代じゃないのかもしれないし、僕も無責任なことは言えない。

これから世界がどうなるのか? この20年でアメリカは明らかに疲弊しているし、かつては、希望の光のように輝いていたNGOも私の眼には疲弊しているように見える。何よりもコロナ禍で、いろんなことが変わってしまって、世界のことなんかにかまってられないのかもしれない。でも一方で、リモートの技術やインターネット、AIがどんどん進んでおり、今までとは想像のつかないテクノロジーが出てくるだろうし、コミュニケーションの取り方も今までとは違ってくる。それがいいのか悪いのか、でもなんか、少し僕は希望を持っている。これ以上ひどくならないという気がするからだ。人権とか民主化とか口だけの美しさより、多少汚くても、戦争がない方がいいから。