イラクからスハッドちゃんが日本にやってくる

さとうまき

2002年、初めて僕がイラクに行った時に、出会った少女。スハッドちゃん、9歳だ。目がキラキラと輝き、おりづるを折ってくれた。僕は、彼女の中に「サダコ像」を見たのだ。

「もし戦火が避けられないならば、われわれは正義の名の下、正しい方法で戦う。それは、罪のない人々に対する危害をできる限り避けることである。米国と同盟国は、イラクの人々に食糧や医薬品などの救援物資、そして自由をもたらす。」
ブッシュ大統領は、2003年の1月一般教書演説でのべた。しかし、イラクにもたらしたものは、多くの一般人の犠牲者だった。

スハッドは、バグダッドが戦禍にまみれたときおとなたちに手紙を書いた。
「私たちは戦争が好きではありません。なぜ戦争をおこしたの? 平和だけが好きなのに。私たちは、戦争はきらい。そして怒っています。私たち子どもは、なぜあなたたちが戦争を始めたのか聞きたいのです。」
10歳の子どもに福田康夫は、イラク戦争から10年たった2013年、わかりやすく答えている。
「(イラク攻撃支持は)日本のプレゼンス(存在感)を高め、小泉・ブッシュ関係(強化)の決定打になった」と。判断に誤りはなかった。(朝日新聞)

スハッドちゃんの父は音楽バレエ学校の用務員。貧しかったが、学校に住み込んでいた。戦争が始まると、校庭の防空壕に逃げて一夜を過ごしたことも。いよいよ米軍がバグダッドに迫るとイラク軍が、「ここを出たほうがいい」というので、郊外に疎開した。

バグダッドは、その後、内戦状態になり、道路には毎日のように遺体が転がっている状態になった。外に出られないスハッドちゃんたち家族は、学校で楽器をいじって過ごした。ユースオーケストラの楽員になってオーボエを吹くようになっていた。2011年、津波が日本を襲うといち早く手紙を送ってくれた。
「イラク戦争から8年が過ぎました。数万という多くの犠牲者がでました。子どもとその母親達は引き裂さかれ、子どもはその母に甘えることはできなくなり、母親はその子に触れることができなくなってしまいました。一体いつまで、私の故郷は苦しみ続けるの? 世界は小鳥のさえずりで目覚めるのに、私達は爆発音で眠りから起される。しかし、暗闇からのぞく一筋の光のように、希望が存在しました。辛い時を過ごしても、この経験が私に忍耐を与え、強くしてくれるだろうと信じていました。日本のみなさん、いつも私達が共にいるということを忘れないで下さい。みなさんは愛、敬意、そして称賛という言葉こそが相応しい人々なのです。」
そして、バグダッドで開催された日本のためのチャリティコンサートでオーボエを吹いてくれたのだ。その時の募金は、石巻の相川小学校に届けられた。津波で流された運動会の帽子を購入したそうだ。

イラク戦争から10年。僕は、大学生にイラク戦争の事を話すこともある。しかし、10年前と言えば、彼らは10歳。イラク戦争の事など記憶にないかもしれない。これからの日本を担う若者たちがと平和を考えていくのに、「イラク戦争はなんだったのか」を問うことは避けて通れない。同年代で戦争を体験したスハッド達と交流してほしいと思う。そのために、スハッドちゃんを日本に呼ぶことにした。

しかし、バグダッドは、今年に入ってから治安は悪化し、毎日のようにテロのニュースが入ってくる。無事にバグダッドを出ることができるのか不安だ。

8月19日から9月1日までスハッド(オーボエ20歳)と妹のハディール(バイオリン17歳)が来日。東京でのコンサート8月25日ほか、福島や石巻を訪問します。
今回のツアーには180万円ほどかかります。是非カンパをお願いします。
詳しくは、http://www.jim-net.net/event2/2013/07/post-9.php まで