さだこと千羽鶴

さとうまき

8月6日がやってくる。毎年この時期は、広島に行くことになっていた。でも、今年はやめた。ともかく、この日は、全国から人が集まってくるから、ホテルを取るのも大変。暑さと人ごみ。。。たまには、家で、ゆっくりとしたくなった。

昨年、イラクからイブラヒムがやってきた。東京の講演には、ガンで闘病中の大倉記代さんが訪ねてくれた。大倉さんは、原爆投下から10年後、白血病と診断され、広島赤十字病院に入院していた佐々木禎子さんと同室で、千羽鶴をおっていた人。

私が、戦争前にイラクの子どもに禎子と千羽鶴の話をしたら、子どもたちは、禎子が千羽鶴を折っている絵を描いてくれた。東京で、イラクの子どもの絵画展をやったときに、イラクの子どもの描いた「さだこ」の絵があると聞いて、大倉さんは駆けつけてくれた。
「私は、自ら進んで禎子ちゃんとの関係を語りたくはなかったのです。自分も思春期だったし、それで、精一杯だったのだとおもう。何もしてあげられなかったという思いを抱いてずっと生きていたんです。だから、ただ一緒にいただけで、引っ張り出されるのはいやだったんです」
しかし、アフガン戦争、イラク戦争と彼女は、「世界平和」のために少しでも役に立てばと地道に活動を始めた。『思い出のサダコ』も出版した。サダコ虹基金を立ち上げ、劣化ウランで苦しむイラクの子どもたちを救うおうと、募金を集め、毎月25日(さだこの命日10月25日にちなんで)にJIM-NETに送ってれた。

でも、そんな大倉さんもガンになった。イラクでガンの子どもたちの面倒を見ているイブラヒムに一目会いたいと、やってきた。そして、イブラヒムに差し出した瓶の中には、さだこが折った小さな千羽鶴2羽が入っていた。サダコさんのお父さんからおすそ分けしてもらった千羽鶴。広島原爆資料館に飾ってあるのと同じ、本物だ。恨めしそうに見ている私に
「真紀さんにも、私が本当にだめになったらあげるわ」
と約束してくれた。

2008年2月、大倉さんから電話があった。私がイラクに行くと聞いて、もうこれが最後かもしれないというのだ。顔色は意外によかった。澄み切っている。彼女は、小瓶に入った鶴をわたしてくれた。早く欲しかったけど、彼女もこれで最後と決めている。なんだかとってもつらかった。

「死は怖い」という。「がんばるのはつらい」って言ってた。がんばらないっていうのはこういうときに使う言葉なんだ。それでも大倉さんはゲバラの話をしてくれた。
「コロンビアに居るときにだって、ゲバラは、メーデーの日に、世界の労働者が連帯していることに思いをはせてた」
そしてブレヒトの話もしてくれた。でも、僕には、もう、一杯で彼女の言葉が入ってこなかった。もっといろいろ教えてもらっておけばよかった。

「ヨルダンにも連れて行って欲しかったわ」
「イラクにいきましょう」と私が言うと、笑っていた。

大倉さんはもう墓も準備している。大島にあるお墓には、木を植えることが出来るって。植樹葬というのがあるらしい。友人に墓参りに来てくださいって言ってあるそうだ。わたしは、自分も行きますよ! とは言えずにただ話を聞いていた。不思議な時間が流れた。何だか、黄泉の国から話しかけられているような感じがする。

大倉さんは、イラクに持って行って、と家にあったタオルやらおもちゃやらをわたしてくれた。
別れ際、「そうそう、東京に待雪草が咲いたんですよ」私の友人が、北海道から球根を持ってきてくれ、ひそかに植えていったのだ。待雪草の花言葉は、「希望、慰め、楽しい予感」。イラクにぴったりの花である。彼女は、マルシャークの『森は生きている』という本を思い出してくれた。わがままな女王が冬に待雪草が見たいというロシア民話。
「東京にも咲くのね」でもイラクには咲かない。
「これから、イラクで待雪草を摘んできますよ」
まもなくイラク戦争が始まってから5年、この5年間のイラクの人たちのストーリーをちゃんと伝えたい。待雪草=イラク人のストーリー、つまりは、取材をして、土産話を持って帰ろうという意味だ。希望につながる話は、冬に待雪草を摘んでくるほど難しい。
「ちゃんと土産話を聞いてくださいよ」

私が帰国した3月、大倉さんは、化学療法もやめて、モルヒネだけで痛みを抑えていた。私は、仲間たちとまとめた『ウラン兵器なき世界をめざして』という本を手渡そうとした。
「重いわ」彼女はすっかり弱っていた。
そして、6月23日、大倉さんは亡くなった。イブラヒムに、大倉さんが亡くなったことを伝えた。もらった折鶴は家に保管してあったが、大倉さんが亡くなったと聞いたその夜に鶴を出し、家族で鶴を囲んで大倉さんとの思い出を話した。東京で一緒に撮った写真を見せ、大倉さんの生い立ちを聞いた家族は涙したそうだ。

彼女からもらった千羽鶴。私たちはあまりにも「重い」プレゼントをもらったのだ。今年の8月6日は、この折鶴を埼玉にある丸木俊美術館で展示してもらおうと話を進めている。さだこの平和の思い、そして、それを引き継ごうとがんばった大倉さんの思いが込められた千羽鶴だ。