まるで、ずっとそこにいたかのようにあなたは「今日は時間がないんです」と笑いながら言う。けれど、「今日は」とあなたはずっとここにいたように言うけれど、あなたがここにいたのは三年間だけだ。
三年前にふらりと舞い戻って来たあなたは、まるであなたがいなかった二十三年間のことなどなかったかのように、ずっとここにいたように、みんなと同じようにデスクを並べて仕事をした。チャイムが鳴ると教室に行き、淀みなく話して生徒たちの心を掴み、心を掴まれた生徒たちは職員室に来てもまずあなたを探した。
あなたがいなくなってからすぐに、当時の教育主任が決めた「質問は授業中にするように」というルールは、あなたが帰ってきてすぐに、なかったものになった。あなたは授業中も授業が終わってからも生徒に囲まれていた。学校帰りの道でも生徒たちがあなたと話したがった。
私はあなたが生徒たちと仲良くしすぎて問題でも起こせばいいのにと思っていた。ほら、あなたのクラスの背の小さな女の子は、早くにお父さんを亡くして完璧なファザコンなのよ。気づいてた? 彼女のあなたを見る目は恋人を見る目と同じ。
でも、あなたは問題など起こさない。生徒たちに缶ジュースをおごってあげたりすることはあっても、先生と生徒という関係は決して崩さない。そこがあなたのえらいところで、私が大嫌いなところ。
あなたが二十三年前に消えた時のことを私は良く覚えている。新しい校長が赴任してきて、運営方針が大きく変わった。校長はもっと上の指示にしたがっているだけで本当は決定権なんてなかった。だからこそ、先生たちは新しい運営方針に則って、渋々仕事をした。嫌々仕事をしていた。
そんな時、まだ教師になって3年目だったあなたはこう言ったの。
「生徒を第一に考えることが出来ないなら、僕は辞めます」
私は心の中で拍手をした。たぶん他の先生方も。だけど、あなたのように「辞める」と声に出せる先生はいなかった。嫌でも仕事をしなければならなかったから。背負っているものや抱えているものがたくさんあったから。
だから私はあなたが戻ってくる二十三年間、ずっとあなたに負い目を感じて生きて来た。あなたが顧問だった水泳部を引き継いだのも、校庭の花壇の水やりを引き受けたのも、志半ばで辞めていった、あなたへの罪滅ぼしのつもりだった。
でも、あなたは戻ってきた。二十三年間という、そう短くはない期間を経て。そして、私たちがあなたに負い目を感じながら過ごしてきた二十三年間で明るく前向きにいろんなものを吸収していた。
私にはそれが腹立たしかった。あなたの輝きよりも、あなたの輝きが二十三年前の正直なあの一言から始まっているのだとしたら、もう私たちにはあなたと同じ輝きを手に入れる術さえない。そのことが我慢できないくらいに腹立たしかった。
そして、私は思ったの。せめて今日、私はあなたにいまの腹立たしさだけでも伝えておいた方がいいのかしら、と。
「少しお時間いいですか」
私が話しかける。
「いえ、今日は生徒の対応で時間がないんです。申し訳ない」
あなたはそう答えた。
ねえ、二十三年間かかって、私はあなたに話しかけたのよ。あなたの背中に、私はそう呟いてみる。(了)