非常勤講師をしている大学のオンライン授業を担当することになった。新型インフルエンザが世界中で大流行してから一年がたった。
すでに世界はそんな感染症の流行などすっかり忘れいてるけれど、いまだに世界地図の片隅にある名前も知らない国で、急に集団感染があったり、国内でもふいに有名人の感染が報道されたりする。ただ、すでにワクチンが開発されているので、以前のようにテレビの報道も恐怖心を煽るようなことはなく、淡々としたものにとどまっている。
パンデミックと言われる大流行は、世界中の経済活動を停止させて、私たちの生活を一変させた。本来なら、そのままじっと息をひそめて感染症が感染する先をなくしてしまうのが賢明なのだろうと思うけれど、世界中の首脳陣はその道を選ばず、感染症を抱えながらも経済活動を再開する道を選んだ。お金こそがこの世界の血液なのだということをみんなが再確認し、お金の前には誰もが黙り込んで通勤電車に乗り込むしかなかったのだ。
しかし、自宅で仕事をすることが実は可能なのだと知ってしまった人たちは、朝の通勤電車に無自覚に乗っているわけではなかった。虎視眈々と会社組織に属しながらも、テレワークを再開するための根回しを始めていた。
私が働く大学というところは、パンデミックの間、オンライン授業という新しい道を見つけることで、学生からの授業料返還要求を最低限に抑えることができた。オンラインだけれど授業はちゃんとやっている、という事実には学生も世間も、学校も被害者なのに頑張ってくれている、ということが伝わったのだった。
同時にオンラインなら学校の施設をほとんど使わずに、学校のブランドだけで新しい商売を始められるのだということに気がついたのだった。いま、私が担当しているオンライン授業はいわゆる大学生のためのものではなく、社会人に向けた一般教養の講座だった。これまで「社会人のための大学講座」として開講していたものをパンデミック時に整えたオンライン授業のインフラで行おうという商売だ。今回のウイルスは高齢者にこそ感染しやすいらしいという情報もあり、高齢者をあまり外に出したくない、という家族にもアピールしたらしくどの講座もすぐに満員になってしまうらしい。私が担当する講座は「メディアと社会」という不要不急を絵に描いたような講座なのだが、それでも半期の一度の募集はすぐに二十人の定員一杯になり、半年間脱落者がほとんどいないらしい。
この講座も元々は大学の一室で直接対面で行っていた講座だが、その時よりも人気が出て、そのおかげで私の首もギリギリで繋がっていると言ってもいいだろう。オンライン授業はやりにくいとか、文句を言っている場合ではないのである。むしろ、ありがたい。そして、回数を重ねていると、だんだんオンラインでのやり取りも面白くなって来たのである。
オンライン授業の面白さは、一人一人の受講者との距離がほぼ同じだということかもしれない。距離的にも参加者が小さな格子状のマス目の画面の中に一人ずつ並び、誰かが発言するとその画面が大きく表示される。声が小さいから印象に残らない、ということもない。表情でアピールされなくても、キーボードのボタンを押すとその人に発言権がいく。そんな今までにない感覚が面白い。そう思い始めると、私はオンライン授業にはもっとたくさんの可能性があるのではないかと思い始めた。
ある日、受講生の一人が映っている一マスが大きく揺れた。大丈夫ですか、と声をかけるとそこに映っていた年配の女性が、スマホが倒れたんです、と答えた。最近、パソコンを持っていなくてスマホで参加している受講者が多いとは聞いていたので、なるほど、と私は言って淡々と授業を進めた。しかし、ふと思ったのだ。メディアと社会などという講座をやっているのなら、例えば、それぞれの受講者が発信してくるような内容も面白いかも知れない、と。そう思うといても立ってもいられなくなり、私は先ほど画面を大きくゆらした女性に、オンライン上から呼びかけた。
「いま、家の中ですか?」
私がそう聞くと、女性は少し驚いた様子だったが、
「はい、そうです」と答えた。
「ちなみに、あなたのスマホもメディアのひとつですね」
「どういうことでしょう」
「いま、あなたはこちらからの情報を受け取っているのだと思いますが、私からするとあなたの映像という情報を発信されているわけですから」
「なるほど」
女性がそう答えて笑うと、その周囲のマス目の中からも一斉に受講生たちが笑いかけてきた。
「例えば、あなたの部屋から見える窓の外の景色を見せてもらえますか」
私が言うと、女性は少しだけ手間取ったあと、窓の外を映した。青い空が見えた。私がいる大学の部屋にも小さな窓があり、青い空が見えていた。ああ、空は繋がっているのだなあと思った。すると、他の何人かの受講生も窓の外の空を映し始めた。パソコンのカメラを空に向けたり、なかにはパソコンからスマホに切り換えてわざわざ空を映す人もいた。受講生は二十人程度なのだが、そのうち、私のデスクトップのパソコンにある二十のマス目に様々な色の空の映像が並んだ。
「ああ、メディアと社会ですね」
私はそうつぶやいていた。
そうつぶやいてから、こんな叙情的なものに流されていてはいけないと気持ちを引き締めてみようとしたのだが、その弾みに私は涙を流していた。一人だけ、デスクトップのモニターのなかに顔を映していた私が泣いていた。青空に囲まれながら泣いている私はとても美しかった。(了)