半年ぶりに会う長男の修介はすっかり社会人としての立ち居振る舞いを覚えていて、なんだかこちらが落ち着かない。とりあえず、喫茶店で顔合わせをということにはなったけれど、本人同士が会い、両家の親もそこに顔を揃えるとなると、それは紛れもないお見合いだ。それに高橋が指定してきた場所は喫茶店と言うよりも今どきのカフェで、注文も入口近くのカウンターでするようなセルフサービスの店だった。席を予約することもできなかったので、席をきちんと確保するために、修介を連れて三十分前に指定されたカフェに入った。
午前中だったので席に余裕はあった。セルフレジのカフェなどほとんど利用したことがなかったので戸惑っていると、修介が手慣れた物腰で私たちの注文を聞き、奥の二人がけの席を三つ引き寄せて両家六人の席を作るようにと指示を出して、カウンターへ向かった。私と妻の治子は修介に言われるがままあたふたと小さな二人がけのテーブルを三つ組み合わせて細長い大きめのテーブルをつくった。
今回のお見合いは私と同僚の高橋が会社の研修で隣の席になったことがきっかけだった。お互いに定年まであと十年ほどという先の見えた状態でのスキルアップ研修は、なんだかとても白々しく、講師に気付かれないように私と高橋はボソボソと話し始めた。これまで同じ部署になったことはないので、あまり懇意にしたことはなかったけれど、それでも同じ会社に長く勤めていると、顔見知りではあり、何度か挨拶くらいは交わしたことがあった。
「孫を抱きたいんですよ」
そう言ったのは高橋だった。
「もうね、自分の子どもは手を離れちゃったから、今度は孫を可愛がりたいんですよね」
高橋はそう言って笑うのだが、実は私も最近、似たような話を治子としたばかりだった。
「いいですよねえ、僕も孫がほしい」
孫の話でひとしきり盛り上がったあと、互いの家族構成の話をして、こちらには次男が、高橋のところには次女がまだ未婚のままだという話になった。
「次女は梨花というんです」
そう言って、高橋はスマホに入っていた次女の写真を見せてくれる。大人しそうな色の白い女性で、目鼻立ちがはっきりしていて高橋によく似ていた。
「似てますね」
そう言うと、高橋は笑う。
「ママに似たかったって言われますよ」
その言葉に私もつられて笑う。笑いながら、見せてもらったのだからと今度は私が修介の写真を見せた。
「ああ、平山さんのところもよく似てますね」
確かに、最近とみに似てきた気がする。けれど、修介のほうが背はかなり高い。
そんなやり取りをしている間に、研修は終わり、私たちは「いい人はいませんかね」という自嘲気味な笑いを浮かべて別れた。
それからひと月ほど経った頃だろうか。高橋から社内の内線で電話があり、近所の喫茶店に呼び出されて今回のお見合いを提案されたのだった。
「この間、見せてもらった修介さんの写真がどうも気になって。娘の顔を見る度に、もしかしたらお似合いの夫婦になるんじゃないかなあと思ってね」
唐突な話に面を喰らったけれど、確かに修介と高橋の娘の梨花はお似合いかもしれないと思えた。目鼻立ちのはっきりした梨花と、どちらかと言えば地味な修介。小柄な梨花と大柄な修介。なにか、互いにないものばかりがあって、一緒になるとバランスが良さそうな気がするのは確かだ。
話はトントン拍子に進んで、今日の日を迎えたのだった。
私たちが入店してから三十分後の午前十一時、高橋夫妻と娘の梨花がやってきた。修介はすっと席を立って彼らをアテンドすると、飲み物の注文を聞いて、カウンターに向かった。その姿を見て、一瞬まごまごしていた梨花だが、思い切って修介のあとを追った。
顔見知りの私と高橋がそれぞれの妻を紹介すると、互いにざっくばらんな会話が続き、若い二人が飲み物を運んできた頃には、まるで妻同士が旧知の知り合いのように会話をしているのだった。
両家の六人が顔を揃えると、ほんの少しまた緊張が戻り、それぞれに話すタイミングを見計らいながら、互いの家のルーツを訪ね合ったり、子どもたちの兄弟のことを聞いたりしながら、肩をほぐし合うような時間を過ごし、なんとなく互いの家が、こんな娘が、こんな息子がいればいいな、という感覚を共有し始めた頃、妻の治子が小さく手をあげた。
「ねえ、もうすぐお昼だから二人でランチをとってきたら?」
治子が言うと、高橋の妻もうなずく。
「それがいいわ。このあたりはこじんまりとしたお店がたくさんあるから」
両家の母の提案に、若い二人は迷うことなく立ち上がる。
「私たちはもうすこし話してるから、ゆっくりしていらっしゃい」
治子が言うと、じゃあ行ってくるよ、と修介が返事し、出入口へと歩き出す。梨花も恥ずかしそうに会釈をすると、修介のあとを追う。
二人が出て行くと、一瞬の沈黙が私たちを覆う。その場の気温がすっと低くなったような気がした。それぞれに冷めた飲み物に口を付けて、落ち着きを取り戻そうとする。そして、お互いが気に入ったということになれば、自分たちは反対はしないという軽い約束がさっそく取り交わされる。結婚したら、梨花の仕事はどうするのか。どこに住むことになるのか。そんな勝手な話を親同士で勝手にしていることがなんだかとても楽しかった。
どのくらいの時間、私たちは話していたのだろう。治子が、お腹が減りましたね、と言ったときにふいに二人が戻った。いや、戻ったという感覚の前に甘い香りが私たちの席の周囲に濃く漂った。その香りは二人が結婚を決めたことへの比喩かと思うほどに幸せという言葉とリンクしていて、私はおそらくきょとんとした顔をしていたに違いない。ところが、高橋も高橋の妻も、そして治子も同様に、その甘い香りを嗅ぎ取っていたらしい。
「甘いわねえ、ものすごく甘い匂いがする」
治子が声に出して言うと、梨花が自分の服の二の腕あたりに鼻を寄せる。そして、小さく「あっ」と声をあげる。
「もしかして?」
修介が言うと、梨花がうなずく。うなずいた梨花はとても恥ずかしそうに顔を赤らめる。
「さっき、ワッフルを食べてきたんです」
なぜか、修介も赤面している。
「ランチを食べずに?」
治子が聞くと、梨花がうなずく。
「私が、えっと、誘ったんです。ワッフルを食べませんかって」
梨花が言いよどんでいると、修介が話し始めた。
「僕のほうから誘ったんだよ。僕たちもそれなりに緊張していて、なんか食欲ないですねって話になったんだよ。そしたら、ワッフルを出しているカフェがあって、ものすごく良い香りがしていたんだ。僕が良い香りですねえって言ったら」
「私がワッフルが大好きだって言ったんです。そしたら、修介さんが僕も好きだって」
「そしたら、梨花さんがワッフル食べませんかって誘ってくれて」
二人があたふたと事情を説明している様子を、私たち両家の親はなんとも幸せな気持ちで眺めている。そして、私はこの甘い香りに包まれた若い男女の結婚を阻むものがあるとしたら、それはいったい何だろうかと考えていた。(了)