奈良の橿原という町に住んでいたことがある。最寄り駅は近鉄の大和八木という駅で、当時は駅前だけが開発されており、大型のショッピングモールが一つと、小さめの近鉄百貨店があるくらいだった。ほんの十分も歩けば、周囲は田畑が広がるのどかな風景だった。
そこに初めてできた高層マンションがあり、ひょんなことからそこに住むことになった。窓からの景色は素晴らしく、低く連なる大和三山を眺めながら洗濯物を干したり、ベランダでぼんやりとタバコを吸ったりするのが好きだった。
当時は車で移動することが多かったが、夜になると街灯も少なく、無灯火の自転車にぶつからないよう注意して運転しなければならない緊張感が常にあった。
その日も、暗い夜道を運転してマンションに帰ってきた私は、立体駐車場に車を入れながら、一日の仕事のやり取りを思い出してため息をついていた。それでも、部屋に戻ればまだ小さな我が子に会えるので、少し嬉しい気持ちになりながらエントランスを通り抜け、急いでエレベーター乗り場に向かった。時間は夜の12時くらいだっただろうか。もちろん、エントランスにもエレベーター前にも誰もいなかった。エレベーターは二基あり、一つは一階に、もう一つは十五階建てのマンションの中間にあたる七階に待機していることが多かった。その日も、エレベーターは一階と七階にそれぞれ停まっていた。
私が上りボタンを押すと、通常は一階にあるエレベーターが動き出すはずだったが、なぜか動かない。その代わりに、ブーンという音とともに、七階にあったエレベーターが一階に向かって降り始めた。
あれ? と思ったものの、特に気にせず待っていたが、どうもエレベーターが遅い。どうやらこんな夜中なのに、一階ずつ停まっているようだ。もしかしたら、私がボタンを押す直前に誰かが七階で降りて、全ての階のボタンを押していたずらしたのではないかと思ったが、そうであれば私が来た時点でエレベーターが動いていないのはおかしい。どうしたんだろうと思いながら待っていると、チャイムの音と共にエレベーターが一階に到着した。ドアが開くと、中には十人ほどの人々が乗っていた。全員が無言で、他人同士のように見えた。彼らはドアが開くと同時にエントランスを出て行った。
私は、こんな夜中に友だちを呼んでパーティーでもしていたのかと思いつつ、彼らと入れ替わるようにしてエレベーターに乗り、自分の住む九階のボタンを押した。しかし、エレベーターが動き始めると、先ほどの人たちが何か普通とは違う存在であるように強く感じ始めた。到着するまでのわずか十数秒間で恐怖を覚え、九階に到着しドアが開いた瞬間、慌てて自分の部屋に走り込んだ。振り返ると、エレベーターのドアは閉まり、そのまま上へと上がっていった。(了)