兵庫県伊丹市は大阪の中心部から阪急電車で一回の乗り換えを含めても三十分から四十分程度という場所にある。通勤にも便利なため、衛星都市として発展してきた。神戸の震災で阪急伊丹駅の駅舎が倒壊してしまい、再建されるまでの期間、ほとんどの人がJR伊丹駅を利用するようになった。そのため、市内を縦横に走っていた乗り合いバスの終点が「阪急伊丹駅」から「JR伊丹駅」に変更されることになり、以来、阪急伊丹駅周辺の商業環境の凋落が始まった。いまでも、きれいになった駅ビルのテナントには空きがある。逆にJR伊丹駅周辺の商業、住環境は大きく発展した。大型のショッピングモールが出来、引き寄せられるように大型のマンションが数多く建てられた。
そんな中心部から私の実家は市バスに乗って約三十分ほどの場所にある。自転車で五分も北に走れば宝塚市。西に走れば西宮市。つまり、伊丹市の端っこのほうにある町で、人口密度も低い。また、大きな変電所を抱えていることで、実家の窓の外を見ると必ず空に向かってそびえるような鉄塔が目に入る。
梅雨時の寝苦しい深夜に目が覚めてしまい、窓のカーテンを開けると、真っ暗ななかに陽の昇る気配だけがあり、その証拠を示すかのように鉄塔の影が青暗い夜と朝の間に強いコントラストでそこにはっきりと見えるのだった。
そんな時、私はもう一度寝ることを諦めて、二階の仕事部屋の窓際の机に向かって座る。そして、窓の外を見ると寝室と同じように鉄塔が見える。しかし、二階の仕事部屋から見える鉄塔はその足元を生活道路を隔てた向かいの家のシルエットで隠されている。
向かいの家には小池さんという家族が住んでいて、この家族の朝は早い。ご主人が洋装品の販売関係の仕事をしていると聞いているのだが、朝の五時には家の窓のほとんどに明かりがついている。
目覚める前のまだぼんやりとした頭で、仕事部屋から窓の外を見ている私の眼には、そびえ立つ変電所の鉄塔と、その足元にある小池さんの家のシルエットと、そのシルエットのなかに少しずつともされる部屋の灯りが、とても不思議なものに思える。特に伊丹の外れの町の実家の二階にいる時の私は、十九歳でこの実家を飛び出したはずなのに、という想いを背中に背負ったまま窓からの風景を眺めているような気持ちになる。東京にもまだ住まいはあるが、年に何回か子どもたちの様子を見に戻る程度で、ほとんどこの実家で、妻とともに老いた母の様子を見ながら未曾有の疫病が収まるのを待っている。
そんなここ数年の鬱々とした気持ちが、青みを増していく夜のなかの朝の気配に浮かびあがってくる鉄塔と小池家の輪郭を見入らせるのかもしれない。
今日はまだ小池家の灯りはともってはいない、と思ったその時に一つ灯りが見えた。しかし、いつもよりもその灯りの位置が高い。二階の仕事部屋に使っている部屋から見ているのに、目の前の灯りは少し高い。小池家も二階建てのはずなのに、と思いながらまだ朝が来る前の暗さのなかに目をこらす。屋根裏部屋かもしれない。亡くなった父と、いま階下で眠っている母がこの家を建てて三十年近い。その間、何度もこの実家には足を運んでいるし、ここ数年は一年の半分以上をこの家で過ごしている。それなのに、私はいま気がついたのだ。向かいの小池家に屋根裏部屋があるらしいことに。
屋根裏部屋があるんですか、と小池家の人たちに直接聞くことはないだろう。また、双眼鏡を持ってきて、小池家の屋根裏部屋らしき場所の小さな窓の奥を探るようなこともないだろう。もしかしたら、妻にも、老いた母にも話す機会はもうないかもしれない。
それでも、私は開け始めた夜のなかで、兵庫県伊丹市の端っこの大きな変電所のある町で、ふいに向かいの小池さんの家に屋根裏部屋があるのかもしれないということに気付けたことが、とても嬉しかった。(了)