散歩に行こうと誘ったのは向こうだった。なにか話したいことがありそうな口ぶりだったので、電話を切った後、すぐにスニーカーをつっかけて川沿いの道の方へと歩き始めた。向こうも同じようにスニーカーをつっかけて、どこか慌てて出てきたように見えた。自分から誘ったくせにと思ったけれど、やあ、と小さく手を上げて声をかけた。向こうも、やあ、と声を出した。
大きな橋がかかっていたが、そこには入らず、土手をまっすぐに歩いた。歩く速度は普段よりもほんの少し遅くて、いかにも散歩といった感じだったが、それが向こうの散歩の速度かどうかはわからなかった。そういえばこんなにわかりやすく一緒に散歩したことはなかった。一緒に歩いたことはあったけれど、どこかに行くために電車の時間を気にしながら、とか、たまたま同じバスで帰宅して、ぼんやり家の方角へ一緒に歩いたり、とか。歩くことを目的とした、散歩、という行動自体をもしかしたらしたことがないのかもしれない。それなのに、その散歩デビューを事前の打ち合わせもしないまま始めてしまったことが普通のことなのかどうか、歩きながらずっと考えていた。
向こうも同じように考えていたのか、ときどきこちらを見ている。さぐりさぐり、あたりの景色の中に自分たちがちゃんと溶け込んでいるのかを確かめながら歩いているようだった。同じ川沿いの道を歩いてるはずなのに、向こうは川向こうを歩いているように感じられたりもした。不思議なのは向こうがときどきふいにこちらに来たり向こうに戻ったりする感覚があることだった。それでも一緒に歩き続けているとオレンジ色のきれいな花が自生している場所を通ることになった。遠目には丸いイメージなのだけれど、間近で見るとその花びらは細長く、それがたくさん集まって丸いフォルムを作り出しているのだった。
こちらはその花を初めて見たような気分だったが、どうやら向こうはその花に慣れ親しんだ気持ちを持った様子で、明らかに表情がほどけている。そして、何を考えたのかその花の一本に手をかけて、すっと抜き取った。力を込めなくても、抵抗なく抜けたように見えたことがなんとも気持ちが悪く、向こうがまるで手品でも使ったかのような印象だった。なんとなく負けてはならんという気持ちが芽生えて、同じようにオレンジ色の花の一本に手をかけてすっと抜こうとすると、思いのほか抵抗が強い。歩きながらスッと抜こうとしたのに、歩みを引き留められるほどに抵抗があった。向こうがそれを見ながら笑う。結局、花は茎から抜けず、そのままスライドした私の掌がオレンジ色の花を握りつぶすことになった。
その後の散歩中、向こうはオレンジ色の花を手に持って歩き、こちらは掌の中に生々しい感触を持ったままだったが、向こうの花は暑さのせいかあっという間にしおれてしまい、こちらの花の生々しい湿気と、掌に擦り付けられたオレンジ色は向こうと別れて家に帰ってからもなかなか取れなかった。