木立の日々(2)「盗まれた工具」

植松眞人

「こだちって、可愛い響きですね」
 いきなりそう話しかけてきたのは今日初めて一緒にレジを組んだ中村くんだった。このホームセンターではレジのシステムにその日の担当者の名前を入力することになっている。そして、入力した名前がモニター画面の一番上にフルネームでカタカナ表示されるのだった。
「どんな字書くんですか」
「どうして?」
 木立はとっさにちょっと迷惑そうに答えてしまう。親しげに話しかけられることに慣れていないのだ。
「だって、わからないことって知りたいじゃないですか」
 中村くんはこの町に十年ほど前にできた大学の一年生で、可愛らしい顔立ちをしている。色白で目が大きくあごが小さい。今どきの若い男の子の見本のような顔で、目の上ギリギリで流された前髪は、流行の歌手のようだ。
「最初、すだちかと思いました」
 人の名前で遊ぶように言うと、中村くんは屈託なく笑う。その声が少し大きくて、通路の向こう側のレジをチェックしていた店長がチラリとこちらを見た。
「ほら、サボっているように見えるから大きな声で笑わない」
 木立がさらに意地悪そうに言うと、
「じゃ、名前の字と由来を教えてください。そうすれば黙っているから」
 この手の大人しいのか強引なのかわからない若いのが苦手だ。木立がこれまでに振り回された男の大半がこのタイプで、結局、こいつらは私を小馬鹿にしているのだと思う。
「木が立つって書いて木立。私が生まれた産婦人科が木立に囲まれていたのよ。私が生まれた日は風が強くてその木立が揺れていたの。でも、折れることなくしなやかに揺れる木立を見て父はその名前を我が子につけることにした。以上」
 私が唇をほとんど動かさず、小さな声で早口で説明すると、中村くんが「素晴らしい」とつぶやいた。何が素晴らしいのかわからなかったが、中村くんはそのまま何も聞かず、やってきた客の対応を始める。中村くんがレジを通した商品を木立は一つずつ客が持参したバッグに入れるのだった。
 朝から勤務していた中村くんが退社したのが午後三時。入れ替わりに木立のレジのサポートに入ってきたのが林さんだった。林さんは私より三つ年下だが、このホームセンターの別の支店からオープンニングスタッフとして移動してきた人なので仕事の上では大先輩といった存在だった。木立の教育係でもあったので、彼女と話す時は少し固い敬語になってしまう。
「中村、どう?」
 林さんが単刀直入に聞く。彼女が中村くんのようなアルバイトを信用していないということは勘でわかっていた。
「頑張ってますよ。若いから覚えも早いし」
 木立がそう答えると、
「覚えが早いのはどっちでもいいのよ。それより安心して任せておける人物かどうかだわ」
 林さんはそう言いながら、木立のほうをみてニヤリと笑う。木立が働き始めて三ヵ月ほど、すでに木立の後に入って辞めていった学生アルバイトが男女併せて三人もいる。男子一人、女子一人の計二名が三日目の朝に電話一本で「辞めます」と伝えてきたらしい。もう一人の女子は二ヵ月ほど働いたあと、店長に「林さんが怖い」と泣きながら訴えたのだそうだ。店長から緊急事情聴取を受けた林さんは、その女子アルバイトのこれまでの不手際と友だちが来店したときの馴れ合いの様子、さらに休憩時間の倉庫裏での喫煙を進言した。
「何も言わなければ、就業時間に遊んでいるし、下手すれば倉庫が火事になっていたと思いますよ」
 林さんがそう言うと、女子アルバイトは芝居がかった表情で、
「全部嘘です!」
 と叫んだそうだ。林さんは「全部嘘です、なんてドラマの中か、歌の歌詞でしか聞いたことがないわよ」と本人の前で大笑いしたそうだ。
「ねえ、でも、中村って、木立のタイプでしょ」
 林さんは木立が独り者だということを知っていて、時折、男関係の冗談を言う。下手をするとセクハラパワハラですよ、と笑って言い返すのだが、木立は特に気にしていない。それよりも、林さんには木立と同じ三つ年上のお姉さんがいて、そのお姉さんが去年病気で亡くなったのだということを聞いていたので、林さんの顔を見ながらお姉さんはどんな顔をしていたのだろうと想像してしまうのだった。
 林さんは背が高い。百七十㎝くらいはあるだろう。男の店長よりも背が高いので林さんを店長だと思っている客も多いらしい。店長は店長で、そのほうが気楽でいいや、と笑える人なので、林さんと店長は仲が良く、それがこの店の雰囲気を作っていると言える。店長はこの店がオープンするときに採用された大卒の中途入社で、前職はファミレスのスーパーバイザーらしい。この店長が一人前になったら林さんは東京の本部に戻るのだそうだ。
 午後八時に閉店し、スタッフが一斉に在庫のチェックや棚の商品の陳列の確認を行う。木立もその日担当していたコーナーの商品をチェックした後、控室に戻り帰宅の準備を始めていた。そこに林さんがやってきて、「ちょっと来てくれる」と木立を連れ出した。
「マキタのドリルセットがないのよ」
 林さんはスタッフ専用の喫煙所に木立を連れていくと、煙草に火をつけながら言った。朝日がカーテンの隙間から差し込んでくるときくらいに自然に言ったので、木立はしばらくそれがリアクションの必要な問いかけだということも失念するほどだった。
「ドリルセット?」
 ようやく木立が答えたときには、林さんは煙草を何度か吸ったあとだった。
「そう、マキタの」
 木立はマキタというブランドネームを受け取り反芻した。
「マキタの」と木立。
「マキタの」と林さん。
「ドリルセット」と木立。
「そう、ドリルセット」と林さん。
 やっと木立の中でマキタのドリルセットの具体的なイメージが浮かび上がってきた。
「手前に陳列してある一万五千円のやつですか」
 木立が答えると林さんは笑う。
「ううん。棚のいちばん奥に置いてある五万円超えるやつ」
 ここで初めて木立は驚いた。それは一週間前に木立が発注して翌日に届いた新製品だった。しかも、いま置いてあるマキタのドリルセットの中ではいちばん高いものだった。
「売れたという話じゃないですよね」
「そう、売れたという話じゃないの」
「盗まれたという話ですか」
「うん。盗まれたらしい」
 少しぼんやりした木立の言葉をいちいち型押しするように林さんは圧の強い物言いで世の中を明確にしていく。
「今日の午後三時過ぎになくなったことがわかっているの。その頃に盗難防止用のタグが解除されている」
「でも、あのタグはスタッフカードがないと外せませんよね」
 木立が言うと、林さんは半歩、木立との距離を詰めた。
「そう。そして、誰のカードで外されたかが記録されているの」
「じゃ、犯人は」
「犯人は木立なのよ」
「えっ」
 木立はここ数年でいちばん驚いた声を、ここ数年で発した中でもいちばん小さな声で口にした。
「わかってる。あなたが犯人じゃないことは。でも、記録上はあなたがタグを外したことになってるの」
 木立は動揺して、汚れた窓越しに店内の様子を見たり、喫煙所にやってくる他のスタッフたちの様子を見たりしていた。早く身の潔白を証明しなければ、という焦った気持ちになってしまっている。
「木立、大丈夫。落ち着いて。犯人は中村なの。あなたのスタッフカードをレジから持ち出して、ドリルセットのタグを外したの」
「いつのことですか?」
「タグを外したのが昨日の夕方。商品を持ち出したのは今日のバイト終わり」
 林さんは極力ビジネスライクに、自分の感情を込めずに話した。それは木立を慌てさせないための林さんの優しさなのだとわかった。
「中村ってミニバイクで通勤してるのよ。で、自分のバイトの制服でドリルセットを包んで持ち出そうとしたのをほとんど同時に入社した子に見られたのよ。で、それなにって聞かれて、慌てたんだろうね。アクセルふかしたら、足元に置いてた工具セットを落としちゃって、それでバレたってわけ」
 とても身近な童話をひとつ読み聞かせて幼稚園の先生のように、林さんは木立にニッコリと笑いかけた。
「というわけで、ドリルセットは箱が汚れちゃったので、明日から二十パーセント割引で出すから」
 そう言うと、林さんは煙草を消して、喫煙所から出て行く。そして、あっ、と小さな声をあげるともう一度木立のところへ戻ってきてこう言った。
「もちろん、中村はもう来ないから。客として来たら断れないけど、相手しちゃだめよ」
 そう言うと、林さんは店内に戻っていった。木立は照明が半分消えた駐車場のほうに顔を向け、一台また一台と消えていく客の車を眺めていた。そして、盗んだばかりのマキタの高級ドリルセットをスクーターの足元に置いて走り去ろうとしている中村くんを思い浮かべようとした。すぐに彼のバイクと彼の顔を思い出したのだけれど、マキタのドリルケースのパッケージデザインだけが浮かばなかった。(了)