仙台ネイティブのつぶやき(89)人が、いなくなる

西大立目祥子

久しぶりに宮城県北、鳴子温泉で米の配送の仕事をしているササキさんに電話をして、「元気?」とたずねたら、「それが、運転中にクマが飛び出してきてぶつかって、車つぶれて修理したんですよ」と聞かされた。「こけし館のとこの坂道わかります?あの坂を下って、いきなり道路に出てきたんです。ぶつかったあと、立ち上がって車の横を走り出したんで怖かった。こんなの初めてですよ」

このところ東北が話題の全国ニュースというと決まってクマの被害が報道されているけれど、ついに身近なところで事故にあう人があらわれたとは。「日本こけし館」は鳴子の観光スポットで、飛び出してきた道路というのは山形や秋田に向かう車両の多い国道47号線だ。
国道をクマが歩いているのだ。気づけば、地元紙、河北新報の宮城県内版には「クマ目撃情報」の欄が設けられ、前日の出没が報道されるようになった。たとえば「▷午前6時30分 加美町原町道端▷午後6時20分 仙台市青葉区荒巻青葉」のように時刻と住所が記されている。日に5件は下らない。そういえば、数日前、この欄にササキさんの働くすぐ近くの住所を見つけたのだった。「それ、ウエノさんの家ですよ。罠にかかったんです」

ササキさんが働くのは「鳴子の米プロジェクト」というNPO法人の事務所だ。ウエノさんはそこの理事長で農家。米をつくり、牛を飼い、畑をつくっている。牛舎のそばにクマが出たのだから、ひやひやものだったろう。
 
このプロジェクトは、2006年に農家と消費者をつなぎ中山間地の農業を守ろうと始まった。私も農業のことは何もわからないまま、かかわってきた。当時は米の価格が下がって農家の経営が難しくなり、町内でも米づくりをあきらめる人がじわりと増え、耕作放棄地があちこちに目立つようになってきていた。加えて、国の農業政策が、経営規模を拡大して効率化を図る方向に転換されようとしていて、標高の高い山間地に小さな田んぼを維持してきた農家の人たちは生業を継続できるのか大きな不安を抱えていた。

このままではこの町の農業は立ち行かなると考えた役場職員が、本気を出した。まず、標高が高くうまい米はできない、といわれ続けてきた雪深いこの地域でも、おいしく育つ品種を探す。農家が天日干しでていねいに育てて、来年も米づくりをしようと希望を持てる持続可能な価格で売り出す。多少高くても、それが農家の暮らしを守り、自分の食生活の基盤をつくることになる、と理解して買ってくれる人と手を結び、長く付き合う。そんな計画を立て、プロジェクトは始まったのだった。

ササニシキを生んだ宮城県古川農業試験場で寒冷地向けとして開発され眠ったままになっていた「東北181号」という品種を特別に提供してもらい、試験栽培をしたところ、米づくり50年の農家が「山間地でもよく育つ力強い稲だ」と太鼓判を押すほどに苦労なくすくすくと育った。試食してみるともちもちとして冷めてもおいしい。米は「ゆきむすび」という名前で品種登録され、プロジェクトでは事務所経費をのせ、1俵(60キロ)2万4千円で売り出すことに決めた。農家には1万8千円が支払われる。当時の生産者米価は1万3千円を切っていたので驚かれ話題にもなったのだけれど、“農家が希望を持って続けていける価格”に賛同してくれる人は全国に広がり、参画する農家も2年目には21人に、やがて35人くらいまで増えていった。

東日本大震災も乗り切ってきたのだが、このところ参画する農家の数がめっきり減った。今年は12人。プロジェクトが年月を重ねる中で、担い手の農家が高齢化しているのがその理由だ。60歳で参加した人は、もう78歳。あと3、4年が限度だろう。息子が農業を継ぐという人は数軒にとどまっている。先日、NHKスペシャル「食の“防衛戦”主食コメ・忍び寄る危機」という番組を見てひやりとした。日本の稲作農家は、1995年には201万戸だったが2025年には37万戸になるという。あと5年で主食のコメは危機に陥る、と番組は告げていた。中山間地、鳴子の米づくりは日本の稲作の縮図だ。プロジェクトを立ち上げた当初、農業の担い手の高齢化を教えられ、ここで農家を支援する仕組みをつくらなければ私たちの食があやうい、とみんなで勉強したとおりの未来がきた。農業をやる人がいない。農業だけでなく、地方、特に中山間地からは人がどんどん激しく減っている。

話をクマに戻す。ブナがひどい不作だったとか、どんぐりも実らなかったとか、今年の特殊事情はもちろんあるのだろうけれど、クマ出没の背景には、里山に暮らす人の激減があるに違いない。特にコロナ禍以後、米づくり農家、特に外食産業を支えてきた農家が農業をあきらめた。田畑には草が繁り、森の手入れをする人もじりじりと減り、そこにクマが勢力を延ばしているのだと思う。

実際、鳴子の米プロジェクトの事務所の近くは空き家ばかり。18年前の平成の大合併で、町内では3つあった中学校が1つに統合され新校舎で再スタートを切ったのだが、生徒がさらに減りサッカーや野球の部活ではチームがつくれず、隣町の中学校に進学する子も少なくないのだそうだ。町内の公民館の館長さんには「見て、公民館の前の道路は両側ずっと全部空き家」と聞かされる。

でも、食卓に載せる食材がどこで誰がつくっているかを考えない限り、それは見えない。この原稿を書いている窓の外では、先週から恐竜のような姿の3台のパワーシャベルが住宅を解体し、大きな音を立てている。たぶん戸建ての建設がすぐに始まるだろう。近くに地下鉄駅が開業してからというもの、住宅の新陳代謝が一気に激しくなり、少し北側では、東北最大級のマンションの計画が持ち上がっている。やがて何百というファミリーが越してくるのか。その向こうに、私は生い茂る山の中で朽ちていく空き家の風景を見てしまう。

昨日はすぐ近くにサルが出た。なんだかどこもかしこもちぐはぐだ。連続性も秩序も安定もない。何でも手に入るかに見えて、私たちの食が薄氷の上にあることは確か。近い将来、超高層マンションのピカピカのキッチンで飢える人が出るかもしれないことを、想定しておこうと思う。