ブス

植松眞人

 たった一年ほどしか経っていないのに、どうも顔の印象が違う。以前よりもほっそりとしたし、二十三歳という年齢に見合って大人びた雰囲気を増してはいる。表情を構成する目や唇、鼻や眉の造形に変化もない。つまりは、道でばったり出会っても、きっと「あ、久しぶり」と声をかけてしまうくらいに、以前と変わらないのだ。それなのに彼女と待ち合わせ、駅前でその姿を見かけた瞬間に浮かんだ言葉は「ブス」だった。
 正確には見かけた瞬間ではなかったかもしれない。駅前で約束よりも十分ほど遅れるとスマホにメッセージが入り、そのメッセージ通りの時間に少し小走りで到着した彼女はブスではなかった。ブスという言葉を連想させるものはなにもなかった。しかし、そこで二言三言、言葉を交わした瞬間に、ブスという言葉が彼女の顔にぺたりと貼り付いたのだ。
 その後、焼き鳥屋に入り、何杯かの酒を飲み、いくつかの料理を注文しては食べているあいだも、こちらはずっとそのブスの理由を考え続けていた。なぜ、ブスに見えるのか。なぜ、ブスだと思えるのか。もともとバランスの良い顔立ちではない。目の大きさとよく笑う印象はいいのだが、結局、地頭の悪さで笑うタイミングがいつもほんの少しズレてしまう。本人は気付いてはいないけれど、このタイミングのズレで学生の間は大人たちから反感を買っていたのだった。ただ、反感をもった大人たちもなぜ彼女に反感を持つのか、正確に分かっている者は少なく、結果、互いになんとなく苦手、という感情だけが残るのだった。
 その苦手意識は私にもあったのだが、ただ彼女が私のゼミにいたということで、いつまでも苦手だと言っているわけにはいかず、知らず知らずのうちに、その苦手な部分を個性だと思うことに慣れてしまった。しかし、今回のようにブスだと思ったことはなかったので、正直、彼女が話している仕事の近況などは耳に入らず、目の前に出された名古屋コーチンのレバーを食べるのはやめようと決めた。こんな日に生ものを食べるとろくなことにならない。
 もう私は心の中で彼女のことをブスと呼ぶようになっていた。しかし、ブスのほうは最初の乾杯から上機嫌で、最近手がけた仕事の話などを楽しそうにする。誰もが知っている企業の名前が次から次へと出てくるのは、ブスが働いている会社が大手CM制作会社だからだ。ただ、ゼミを卒業してストレートに就職したわけではなく、彼女は小さな映画の予告篇を作る会社に入った。とても小さな会社で、最初にちょっと危惧したとおりに見事なブラック企業だった。古株は社長と入十年目くらいの女子社員だけで、あとは昨日今日入ったような若手ばかりだったからだ。ようは若手が育たない。そして、社長と十年選手の女子社員だけということになると、想像を巡らさなくてもこの二人ができていることくらいすぐにわかる。実際、そうだったらしく、たった五人ほどしかいない会社なのにちゃんと社長室があり、女子社員は普段後輩社員とのやり取りはすべてメールだけで、一言も喋らないのに、社長室に入ると数時間出てこず、しかも中からは楽しそうな笑い声が響いてくるのだという。
 彼女は結局、入社一年でその会社を辞め、辞めるときに脅されたりいろいろあり、私も相談に乗り、私の知り合いにも相談に乗ってもらったりして、まあ、ブスらしくそれなりに大騒ぎをしたのであった。
 紆余曲折いろいろ合ったのだけれど、結局そこそこホワイトな制作会社に中途採用されることが決まり、ほっと胸をなで下ろし、それなりに頑張っているらしいということを現場で一緒になった同業者から聞いたりもしていたので安心していたのだ。
「実は辞めようと思っているんです」
と話始めたのは、ひとしきり笑い、ひとしきり飲み、それなりに腹一杯焼き鳥を食べた後だった。ははん、と私は独りごちた。それでブスに見えたのか。元々このブスは自分でもそれは掟破りだと思っているようなことをしでかしたり、嘘をついたりすると、学生のころから極端に表情にでるのである。しかも、それを誤魔化そうとして、独りよがりな理屈をこねるのだけれど、やはりいろいろ無理があり、その無理が彼女の表情を歪めてしまう。特に愛想笑いをしようとすると、右頬が中途半端に歪むのだ。それが彼女をブスにする。そうだったのか。また何かやらかそうとしているのか、このブスは。そして、この調子だときっとまた男が絡んでいる。こいつはいつも男が絡むのだ。寂しいからと男と引っ付き、自分のやりたい事に邪魔だからと男と別れる。そんなことを繰り返しているという話は聞いたのだが、おそらくその程度のことならきっと引け目に感じることもなく、もっと晴れやかに飲んでくって騒いでいるはずだと私はじっと彼女を観察する。
 すると、どこか過敏になっているのか、すっと引くのだ。何をと聞かれても困るのだが、こちらに向かってくる熱のようなものが後ろにすっと逃げていく。その逃げた先には、恥を真ん中にしてぐいぐいと力任せに丸め上げた泥団子のようなものがある。
「で、お前、なんかブスになってない?」
 私が聞くと、彼女はさらにブスになって言う。
「えっ。ブスになってますか? 前よりちょっと痩せたし、綺麗になってません?」
 そう真顔で言う顔がこれまたブスなのだが、それを聞いて、また男がらみか、と私はうんざりとしてしまう。
「で、今度はどんな相手だよ」
「相手?」
「なんかしでかしたか、しでかそうとしてるか、どっちかだろ」
 私が言うと、ブスはブスではないという表情を浮かべながら、つまり精いっぱい強がりながら、こう言う。
「いまの会社を辞めようと思うんです」
「まだ一年ちょっとしか働いてないのに?」
「もう一年半です」
「いやまあ、そんなに変わらないけど。これから三年は頑張るって言ってなかった?」
「そのつもりだったんですが」
 と話始めた事情というやつは、彼女の制作会社に出入りしているフリーランスのCMディレクターが「一緒にやらない」と誘ってくるのだ、という話だった。そして、その話は、彼女がすっかりとその気になり、社長に話を通し、先輩にちょっと馬鹿にされながら、すっかり出来上がっている話だった。
「うん、わかった。もうそりゃ仕方がない。僕らの頃は出入りしている会社の新人を自分の会社に誘うなんて、掟破りだったけどね」 そのことについては、彼女は答えず、
「もう、一年も返事を待ってくれていたんです」
 ということだったので、私の方はこれはもう仕事の関係ではないのだと思い、何を言っても仕方がない、という気持ちになってしまう。ただ、これが友だちなら黙っていればいいし、もとの職場の同僚なら頑張れと言えばいいようなものだが、私は彼女が卒業したゼミの担当者なのだった。これは一応、言うしかないという半ば義務感で、
「つまり、入社たった半年の新人に声をかける時点で、個人的には掟破りだと思うし、そんなディレクターに本当にいいものが撮れると思えないけどね」
 なんて、実は心にもないことを言っておくのだった。もちろん、どんなにスケベ根性丸出しなフリーのCMディレクターでも、才能のあるなしとは関係ない、もしかしたらものすごい作品を作り出して大注目されて、ついでにこのブスが絶世に美女に見えるほどに輝く瞬間が訪れるかもしれない。もしかしたら、フリーのCMディレクターよりも、このブスの方が一枚上手で、CMディレクターをきっかけに知り合った、有能なプロデューサーにさっさと乗り換えて、大きなチャンスを手にれてしまうかも知れない。それでも、一応、立場的に言っておかなくてはと思い、そんなことをブスにこんこんと話していると、だんだんこちらもその気になってきて、最後には、
「だから、お前はダメなんだ」
 とか言ってしまう。しかし、別にダメなことはないわけで、本当は好きなように生きるのが一番なのだ。私だって、このブスにブスと言っている場合ではないほどに、ブスになっていることがあるのだろう。焼き肉屋に行って壁に貼ってあるメニューを眺めていると、ハラミとツラミの間に、ネタミとかソネミなんていうメニューが見えてくる気がするほどだ。
「じゃ、帰るか」
 と、ちょっとばかり怒っているふりをして早めに宴席を切り上げる素振りを見せると、ブスが急にしおらしい顔をして、すみませんでした、と小さく言う。しかし、そのちょっと歪んだ顔が笑っているようにしか見えないという恐ろしい事態を生んでしまう。そして、彼女の笑っているような歪んだ顔を見ながら、ああ、こいつはどんな道であっても、その時その時、自信たっぷりに歩いているのだということを知る。歪んだ笑顔になっているのは、私の「じゃ、帰るか」という言葉が脅しにもなんにもなっていないのだ、ということをはっきりと示しているに違いない。このブスは、いま私を哀れんでいる。(了)