このエッセイを書き続けてほぼ20年、今まで物語に焦点を当てて紹介したことはなかったので、今回は物語に注目して紹介してみよう。
パンジ物語は13世紀頃にまで遡るジャワ発祥の英雄物語で、14〜15世紀のマジャパヒト王国時代に大流行し、17~18世紀頃には船乗りによってジャワからバリへ、さらに東南アジア各地に広まった。タイなどでは、王子はパンジではなくイナオInaoと呼ばれている。2017年にはインドネシア、カンボジア、マレーシア、オランダ、イギリスが協同申請し、パンジ物語はユネスコの世界無形文化遺産「世界の記録の一覧」に登録された。物語は東ジャワの宮廷が舞台で、パンジ王子が失踪した許嫁のチョンドロ・キロノ(別名スカルタジ)王女を探して放浪の旅に出、ついには王女と出会って結婚するという内容だが、様々な派生演目があるようである。この物語を題材にする芸能形態には、ワヤン・ベベル(絵巻を繰り延べながら語る芸能)、ワヤン・トペン(仮面舞踊劇)、ワヤン(=ワヤン・クリッ、影絵)などがある。
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ワヤン・ベベルとワヤン・トペンはワヤン・クリッより以前からあったとされる。ワヤン・ベベルは、今では辺境の地であるジョグジャカルタ州ウォノサリ県と東ジャワ州パチタン県でしか伝承されていない。特定の家系のダラン(語り手)によって魔除け、病気平癒祈願などのためだけに上演され、演目はそれぞれ1種類しかない。娯楽用ではないので、上演時間も短い。絵はダルワンと呼ばれる樹皮紙(カジノキの樹皮を薄く叩きのばして作る)に描かれている。樹皮紙の研究をされている坂本勇先生に記録映像を見せていただいたことがある。
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ワヤン・トペンはスラカルタでは見られないと言ってよい。パンジ物と言えば「クロノ・トペン」や「グヌンサリ」のように単独で舞う仮面舞踊だろう。クロノはスカルタジに横恋慕する異国の王で、男性荒型のキャラクターである。グヌンサリはスカルタジの兄弟で、男性優形のキャラクターだが、実はどんな場面で活躍する人物なんだか私もよく知らない。グヌンサリの場合、仮面なしで上演されることも多い。これらの単独舞踊は物語の特定の場面を描いているのではなく、恋に落ちた武将の様を描写しており、そのキャラクターを表現することが重要である。他に、芸大で作られた『トペン・スカルタジ』というパンジ王子とスカルタジ姫とクロノの3人が登場する演目があるが、これも劇というより三者三様のキャラクター表現を見る舞踊だと言える。
スラカルタで見られないと言ったが、一度だけマンクヌゴロ王家によるワヤン・トペンを中部ジャワ州立芸術センターで見たことがある。同王家には古い仮面のコレクションが多くあるのでワヤン・トペンを復興したという話だった。スラカルタよりはジョグジャカルタの方がワヤン・トペンが盛んなようである。2011年にクロンプロゴ県(パクアラム王家の領地だった地域)で見たことがあるし、最近のyoutube配信でジョグジャカルタ王家のワヤン・トペンも見た。他にもジョグジャカルタのワヤン・トペンの映像はyoutubeに上がっている。スラカルタとジョグジャカルタの間にあるクラテン県にもワヤン・トペンがあり、私は現地で2回見た。それについては先月号の「ジャワの仮面舞踊」で触れたので割愛。しかし、ワヤン・トペンという名で一番有名なのは、たぶん東ジャワ州マラン県のもののように思う。私は2001年に芸大で見た。「ワヤン・トペン・マラン」や「トペン・マラン」と地名をつけて呼ばれることが多く、youtubeでも多くの映像が上がっている。パンジ物語は東ジャワが舞台だから、中部ジャワより人気があるのかもしれない。
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ワヤン・クリッといえば、現在のジャワではほとんどがマハーバーラタを題材としている。ワヤンはマハーバーラタやラーマーヤナなどインド伝来の物語を題材にした演目群(ワヤン・プルウォ)と、パンジ物語などをジャワ発祥の物語を題材にした演目群(ワヤン・グドッグ)に大別されるのだが、ワヤン・グドッグを上演できるのは現在ではバンバン・スワルノ氏のみらしい。私は2000年10月28日、マンクヌゴロ王家で、氏による『Jaka Bluwo』という演目を見たことがある。通常のワヤン・プルウォのように一晩ではなく、4時間余りの上演だったが(予定は2時間…)、ちょうど見つけたこの演目についての論文によると、これはバンバン氏が短縮上演用に作った演目らしい。この論文によると、ワヤン・グドッグの影絵はパク・ブウォノX世の時代(1893-1939)が最盛期だったが、上演はほぼ宮廷内に限られ、学ぶにも許可がいるといったことが衰退の原因のようだ。
ワヤンはラジオ(インドネシア国営放送)でも放送されてきたので、1980年代前半(私が初めて留学したのが1996年だったので、その一昔前)頃だと状況はどうだったのだろう…とふと思って、事情を知る人に聞いてみた。すると、当時のラジオ局の放送担当者にも確認を取ってくれて、次のような回答が届いた。ワヤン・プルウォの方は毎月、観客を入れて朝まで放送、ダランは毎回変わる。一方、ワヤン・グドッグの方は2か月に1度、ラジオ・トニル(生放送だが観客なし)で、夜9時のニュースの後(9時半頃)から24時まで放送(たまに一晩の放送)、ダランはスラカルタ王家のワヤン・グドッグの師匠であるMadyopradonggo氏が1人で担当(たまにもう1人の人も上演)していたとのこと。その師匠が亡くなった後はこの定期放送もなくなったとのことで、ワヤン・グドッグの伝統を絶やさないために続けていたようだ。
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というわけで、パンジ物語の演目はワヤン・ベベルにしろワヤン・トペンにしろ、どうも田舎の方に残っていたものの、都の真ん中(スラカルタ王家)に残ったワヤン・クリッ(グドッグ)では逆に廃れていったという感じのようだ。ジョグジャカルタ王家の場合はよくわからないけれど。