ジャワの物語(2)ラーマーヤナ

冨岡三智

ラーマーヤナは言うまでもなくインド起原の叙事詩で、4世紀頃までにヴァールミーキによりまとめられた。しかし、その冒頭の、主人公のラーマ王子がヒンドゥーの神ヴィシュヌの転生として誕生する場面と、最後にヴィシュヌ神に戻って昇天する場面は後世に別の作者によって付加されている。物語の主な内容は、森に追放されたラーマ王子が、魔王ラウォノにさらわれた妃シンタを取り戻すため、猿の援軍を得て魔王の国に乗り込み、魔王らと戦って王妃を奪還して国に戻るという話である。

ラーマーヤナは東南アジアに9世紀頃に広まった。ジャワ島中部にあるヒンドゥー寺院プランバナンの回廊にはラーマーヤナの物語のレリーフがある。が、ジャワはその後イスラム化するので、ラーマーヤナを題材とする舞踊作品が多く作られ始めるのは1961年にプランバナン寺院で観光舞踊劇『ラーマーヤナ・バレエ』が始まって以来だと思われる。『ラーマーヤナ・バレエ』については今までも何度も書いているので今回は省略して、今回はコンテンポラリ舞踊作品に描かれたラーマーヤナを紹介したい。

●サルドノ・クスモ『サムギタ』(1969)

振付家のサルドノは『ラーマーヤナ・バレエ』で初代のハヌマン(白猿)を務めたが、元々は宮廷舞踊家クスモケソウォ(『ラーマーヤナ・バレエ』の総合振付家でもある)の弟子である。『サムギタ』はインドネシアのコンテンポラリ舞踊の嚆矢とされる作品で、ラーマーヤナの中にあるスグリウォとスバリという2匹の猿が戦うエピソードをテーマとしている。1969年のジャカルタ初演時は伝統と現代の融合したものとして好評だったが、1970年にスラカルタで再演された時には舞台に腐った卵が投げ込まれ野次が飛ぶというセンセーショナルな反応で、一躍伝説的な舞台となった。舞台背景を女性が開脚した形にして、その股間部から踊り手が入退場するようにしたという点は、スラカルタの観客には抵抗が大きかったようである。修士論文調査をしていた時に当時の関係者にいろいろと話を聞いたのだが、ともかく師匠のクスモケソウォには全く受け入れられず、他の弟子たちも師の怒りを恐れて舞台に参加できなくなったり、見に行けなくなったりしたという。卵を投げた陣営の人も私の留学先の芸大教員の中にいたのだが、その話によると、やはりブーイングをしたのはサルドノらと競い合っていた芸術団体の人たちだとのこと。熱い時代だったのだな…と思うのだが、ここは何といってもサルドノの勝ちである。新しいものを目指した舞台が首都で好評だったというだけでは伝説的な舞台にはならなかっただろう。偉大な宮廷舞踊家の師匠と対立し、破廉恥な舞台装置に怒った保守的な都市スラカルタの観客に腐った卵を投げつけられる…というストーリーが成立したからこそ、サルドノはカリスマ的存在になった気がする。

●サルドノ・クスモ『キスクンド・コンド』(1989)

これもやはりサルドノのコンテンポラリ作品で、これもまたスグリウォとスバリのエピソードがテーマである。もしかしたら、サムギタとテーマは通底するのかも…と今になって気づいたが、まだ確認できていない。この作品は『<東西の地平>音楽祭III ガムランの宇宙』(1989年、東京)で上演され、私も見に行った。プログラムによれば、物語の内容は、母の所有するアスタギナという聖なる箱を取り合う男2人と女1人の武将階級のきょうだいが、その欲望ゆえに堕落するというもの。この2人の兄弟がスグリウォとスバリで、彼らはサルに変わってしまう。これはジャワの影絵で語られるバージョンである。この作品を演じたのはスラカルタの芸大教員の故スナルノ氏とパマルディ氏、そしてスラカルタ王家のムルティア王女の3人だった。男性2人は人間からサルへと変わっていく様子を動きで表現する。後に私は留学してパマルディ氏に男性優形舞踊を師事することになり、スラカルタ王家の定期練習に参加することになるのも不思議な縁だ。