ジャワ暦大晦日の宝物巡回

冨岡三智

今年のジャワ・イスラム暦正月は8月20日だった。インドネシアでは西暦、ジャワ・イスラム暦(ヒジュラ暦)、サカ暦(バリ・ヒンドゥー暦)、中華暦正月の4正月が祝日になっており、西暦以外の正月は毎年日が変わる。ジャワでは王宮の伝統行事や冠婚葬祭の日取りなどはジャワ暦で行われるので、西暦正月よりもジャワ暦正月の方が文化的には重要である。ジャワ暦正月については、2003年6月号の『水牛』に寄稿した「スラカルタの年中行事」で触れたことがある。ちなみに2003年は3月4日がジャワ暦正月だった。ジャワ・イスラム暦の1年の長さは西暦より約11日短いので、毎年どんどん早くなるのである。今回は大晦日の夜に行われるジャワ王家の宝物巡回=キラブ・プソコについて。もっとも、ジャワでもこのコロナ禍ゆえ、今年の宝物巡回は行われない。

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スラカルタ王家では、ジャワ暦で正月になる深夜0時から宝物の市内巡回を行う。これは古い時代から続いてきた伝統儀礼のように見えるが、実はスハルト大統領がパク・ブウォノXII世に民族の安寧と統一のためにティラカタンを行うよう依頼したことから始まった。それは1971年あるいは1973年のことで、つまりは「創られた伝統」である。

ジャワ語のティラカタンとは、正月などの大きな儀礼の前夜に人々が集まって寝ずに夜を過ごすことを言う。日本でもかつて大晦日には寝ずに歳神様の来訪を待ったが、それと似ている。そして、寝ずに過ごすために宝物巡回を行うというアイデアが出て始まった行事なのだ。とはいえ、両者は本来別ものである。ジャワ王家の宝物巡回は、そもそも疫病や飢饉が流行した非常時にしか行われなかった(それも非常に稀だったという研究がある)。宝物の霊力によって町を清めるために行われたが、スロ月と関係もなければ、定期的な行事でもなかった。しかし、国の安寧を祈るというのはかつてのジャワの王にとっては政治行為そのものであるため、祝賀行事としての王の即位記念儀礼よりも重要な儀礼だと私に語る王族もいた。

大晦日の夜、スラカルタ王宮の塀の中では巡回に参加する人々が伝統衣装で参集する。夜中の0時に普段は閉じられている王宮正面の門が開けられ、キヤイ・スラメット(白い水牛の名、これも宝物)を先頭に、槍などの宝物を担いだ王族たち、宮廷家臣団、依願して巡回に加わる一般団体(農村から出てきた人たち)の長い長い行列が出ていく。

行列は王宮の正門からまずは北へ向かう。王宮北広場を経て、グラダッグ(中央郵便局のある所)から東へ、電話局を通りパサール・クリウォンの交差点から南下し、ガディンからフェテラン通りを西に進んだ後北上して、スラマット・リヤディ通りに出(確かパサール・ポンに出る)、そこから東へ進み、再びグラダッグから王宮北広場を通って王宮に戻る。行列が王宮に戻ってくるのは朝4時か5時頃だが、それは先頭を歩く水牛のスピード次第だ。王族や高官は履物を履いて良いが、一般の人々は素足で歩く。私も一度、2001年頃に王宮の踊り子たちと一緒に参加したことがある。おそらく踊り子だから許されたのだろうが、私たちは裸足ではなくサンダルを履いた。それでも歩き通すのは大変だった。

この宝物巡回の間、王は王宮内で国の安寧を祈って瞑想する。一方、宝物に従って歩く人々にとってもそれは瞑想の実践であり、私語は許されない。その行列を見るために沿道にはびっしりと人々が集まっている。観光客も多い。これらの人々も夜通し起きてティラカタンをし、キャイ・スラメットに餌を差し出してご利益を得るのだ。

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スラカルタ王家の巡回に先立ち、夜8時頃から分家のマンクヌガラン王家でも宝物巡回がある。こちらでは宝物は同王家の外壁を1周だけ巡るので、ゆっくり歩いても1時間くらいで済んだような気がする。宮廷家臣らは引き続き外壁を7周する。

実はスハルトはジャワ王家だけでなくジャカルタのタマン・ミニ(文化テーマパーク)でも同時に宝物巡回(を模したパレード)を始め、現在まで続いている。コロナ禍の今年はタマン・ミニからオンライン中継されたので見てみた。各宗教の指導者による祈りと舞踊と宝物(を模した物)の巡回が1時間くらいにまとめられている。規模は縮小されているが、内容的には例年通りだという。例年は室内で祈りをしたあと建物の外に出てパレードをするようだが、今年はすべて室内で撮影されている。