スラカルタ王家の代替わり

冨岡三智

2023年1月号に寄稿した「ジャワ王家の世代交代 その後」で書いたのだが、2022年2月27日、ジャワのスラカルタ王家の当主パクブウォノ13世は息子のプルボヨを皇太子に据えた。当時から健康状態が悪かった13世は昨年の2025年11月2日に逝去し、11月5日に葬儀が執り行われた。

ちなみに、翌11月6日、スラカルタ王家の踊り子たちや演奏者を招聘した公演『楽舞玲瓏―王家の子女たちに託された祈りの舞―』が東京であり、私もそれを見るために上京した。ただ、その公演で舞いを披露することになっていたワンダンサリ(旧名ムルティア王女、以下ムルティアと呼ぶ)は13世の同母妹なのでさすがに来日できず、お詫びのビデオレターを主催者に送ってきていて、それが会場で上映された。主催者はかなり大変だったに違いない。

閑話休題。

13世の葬儀の日、その棺を前にしてプルボヨは「パクブウォノ13世の命により、本日、私がパクブウォノ14世となる」と自ら宣言した。3年半以上前から皇太子となっているとはいえ、一族によって後継者に認められるという手続きを経ずに、あわただしく葬儀の場で宣言してしまうのはいかにも異様だ。

これはプルボヨの異母兄をけん制する目的だったと思われる。13世は3度結婚しており、プルボヨは3度目の妻、つまり現王妃の生んだ男子である。13世は離婚した2番目との妻との間に長男マンクブミがいる。13世逝去の時点でプルボヨは23歳(2002年生まれ)に対し、ハンガベイは40歳(1985年生まれ)だ。この異母兄は、プルボヨ立太子の約10か月後の2022年12月24日、王家の慣習評議会の長であるムルティアの意見により名前をマンクブミからハンガベイへと改名していた。ハンガベイは王妃以外の妻から生まれた最初の男子に与えられる名であり、父13世の即位前の名前だ(12世は王妃を持たなかった)から、改名には後継を狙う意図と同時にそれをムルティア率いる評議会が支持する意図が感じられる。

11月15日、プルボヨの即位式が行われ、プルボヨはシティヒンギルにおいて王となったことを宣言し、馬車で王宮の周辺をパレードした。葬儀から10日後というのも早ければ、本来上演されるべき『ブドヨ・クタワン』(王の即位式および毎年の即位記念日にのみ上演される舞踊)が上演されたというニュースもなかった。何よりも王家のマハ・ムンテリ(最高大臣)であるテジョウランがこの即位式への出席を拒んだ。曰く、40日あるいはそれ以上服喪すべきであり、ちょうど海外から招待を受けていると。ちなみに、このテジョウランは13世やムルティア王女の異母きょうだいで、12世没(2004年)後に現13世と当主の座を争ったが、2012年に13世と和解したのち王の代理たるマハムンテリに任じられている。

ところがその2日前の11月13日、王宮内のサソノ・ホンドロウィノ(レセプションルーム)において、ムルティア率いる慣習評議会がハンガベイの即位式を執り行った。そこには、テジョウラン以下多くの王族(12世のきょうだいたち)の姿があった。テジョウランによれば、その日は王族内で後継者問題について会議をするはずだったが、行ってみると様々な供物が準備されていてその場でハンガベイの即位式が始まったので、全員がそれに立ち会う形となったと主張した。そして、どちらの陣営であれその即位式は有効ではなく、話し合いが必要だとした。一方、プルボヨ陣営を支えるティムール王女(旧名ルンベイ王女、13世の長子)は、そのような会議の案内は受け取っていないと主張した。

13世の40日忌(それまで喪に服する)は、12月10日にハンガベヒ陣営により、翌11日はプルボヨ陣営により王宮内の別々の場所で執り行われた。

年明けて2026年1月18日、インドネシア政府のファドリ・ゾン文化大臣は、スラカルタ王家内の対立を解決させるため、テジョウランをスラカルタ王家の責任者に任命した。1月21日、大臣はこのことをインドネシア下院第10委員会でも発言している。実は、インドネシア国家予算によるスラカルタ王宮修復計画が2023/2024年度から始まっていた。王宮北広場および南広場と文化遺産に指定されている建造物の修復と通行エリアの整備のためである。私も昨年スラカルタに行った時に、修復中のソンゴ・ブウォノ塔が足場で囲まれているのを見た。大臣の発言は、インドネシア政府はスラカルタ王家の内政に関与せず、つまり両陣営のどちらにも与することなく、予定されている文化遺産の修復のみに関与し、その補助金の受取窓口として最高大臣を指名したという訳なのだ。

2月9日、13世の100日忌が昼にハンガベイ陣営により、夜はプルボヨ陣営により王宮内の別々の場所で執り行われた。

現在の状況は以上のような感じだ。今回はプルボヨとハンガベイという2人の14世候補と、かつての13世の対抗馬で現在は13世の代理である最高大臣テジョウランとの駆け引きが続く。パクブウォノ13世のときは和解まで8年を要した。ああ、また王家で騒動か…という気分は決してスラカルタ王家のためにもスラカルタという都市のためにもならない。うまく収束してくれればよいのだが。