6/1バリ舞踊の日に思うこと

冨岡三智

日本では6月1日がバリ舞踊の日となっていて、バリ舞踊のイベントがよく行われている。1964年6月1日にインドネシア大統領の特派使節団が初来日し公演したことに因むらしく、2018年に日本記念日協会により正式に認定されたという。どこがこの認定を推進したのか私は知らないのだが、実はこの記念日について「なぜこの日にしたのだろう…?」とずっともやもやしたものを感じてきた。せっかくバリ舞踊界で盛り上がっているのに、水を差したくないという気持ちもあるのだが、日付を見直してもらえたらなあと正直思っている。

●大統領派遣芸術使節団

その理由は2つある。第一に、日本に初めて大統領特派芸術使節団が来たのは1964年の6月ではなく1961年の1月だから。その時にすでにバリ舞踊も披露されている。大統領特派芸術使節団が来日したのは、1961年、1964年、1965年の3回である。実は私の舞踊の師匠の義弟、義妹がこの1961年公演の出演者に選ばれていたので、私もいろいろ当時の写真をいただいている。

大統領特派芸術使節団(misi kesenian kepresidenan)の派遣は初代スカルノ大統領が打ち出した芸術政策で、公式の第1回は1954年で、行き先は中国である。ちなみに、私の舞踊の師匠夫婦はこの第1回目の出演者に選ばれている。インドネシアの複数の地域から代表を選出し、代表団はジャカルタで合同練習を行い、大統領がその成果を直接視察して送り出した。派遣先は、当時のインドネシアの友好国である東側諸国が多かった。スカルノが1965年9月30日事件で失脚するとこの政策も終了し、以後はインドネシアが送り出した芸術使節団は「大統領特派」ではなくなる。

この、1961年の初来日公演はインドネシア大使館と朝日新聞社の主催である。初来日とあって朝日新聞社の宣伝にも力が入っており、来日前の1960年12月29日から帰国後の2月5日まで10回にわたって新聞に記事が掲載された。以下、その記事に基づいて公演の詳細について記す。実は、この使節団の来日と合わせて、インドネシアの巡航見本市船:タンポマス号も来日している。使節団の来日は1月15日。24日と25日に朝日新聞東京本社講堂にて「インドネシア文化の夕べ」と題した音楽と舞踊についての解説があり、26日夜に東京神田の共立講堂で公演があった。公演はこの1日だけの予定だったが、チケットが完売したため、25日昼、朝日新聞東京本社講堂での公演が追加された。また、28日夜にはNHKで1時間の公開放送があった。ちなみに、私の師匠の義弟によると、インドネシアでテレビ放送が始まるのはこの翌年からで、おそらくインドネシア側もテレビ放送の現場視察を希望していたのではないかと言う。一行は29日に大阪へ向かい(記事にはないが、彼らは宝塚歌劇を見学している)、2月4日に香港、マニラ、シンガポール経由で帰国した。

この時の来日メンバーは75名で、内訳はバリから42名、スラカルタから13名、ジョグジャカルタから4名、バンドン(西ジャワ)から12名、ジャカルタから4名である。このジャカルタの4名はおそらく引率の政府役人を指すと思われる。私の師匠の義弟、義妹はスラカルタ代表である。当時はまだ生演奏による公演だったので、バリとジャワの楽器セットを舞台に置いた。西ジャワの音楽はスラカルタのガムラン・セットで代用が可能で、太鼓だけ西ジャワのものを用意する。ジョグジャカルタからの参加者は踊り手と太鼓奏者だけで、スラカルタの演奏者たちが太鼓以外の楽器を演奏した。バリからの出演者が過半数を占めるが、記事によればケチャの上演もあったそうなので、そのためかとも思う。

というわけで、インドネシアの公式の芸術使節団初来日に焦点を当てるなら、その日付は正しくは1月15日である。

●パンチャシラの日

そして、第二の理由がインドネシア舞踊代表が来日した日を「バリ舞踊の日」としたこと。しかもそれが6月1日であることである。上で述べたように、使節団はバリ舞踊団ではなく4地域の代表から成り、しかも、地域代表はいないものの、スマトラの舞踊も上演レパートリーに入っていた。インドネシア政府としては多様なインドネシア文化を紹介したかったのである。

昨年2023年6月号の水牛に寄稿した「パンチャシラの日によせて」でも書いたけれど、インドネシア政府は2016年に6月1日をパンチャシラ誕生の日として国民の祝日に指定した。パンチャシラはインドネシアの国家五原則のことで、当時国内外でイスラム過激派の動きが活発化したことなどを背景に、多様性の中の統一をあらためて確認するべく打ち出したと考えられる。バリ舞踊の日が認定されたのは2018年だから、すでにパンチャシラの日は祝日になっていた。もっとも、祝日制定以前からパンチャシラの日は記念日となっており、特に公認宗教以外の信仰を持つ人たちにとっては拠り所となる日で、その日に記念行事を行ってきた。そのような日をバリという特定地域の舞踊だけを称揚する日と定めることは、インドネシアの国家原則を尊重していないように見えてしまう。インドネシア芸術と関わるならば、そこには注意を払うべきではないか…と思える。実際、インドネシア教育省の元役人にこの「バリ舞踊の日」制定について話をしたら、やはり機嫌が良くなかった。

バリ舞踊の日を制定する動機となったのは、2015年にバリ舞踊がユネスコの無形文化遺産に登録されたことだったようだ。それならば、そのユネスコに登録された12月2日をバリ舞踊の日にすればよいのに…と思う。