なんば、またはなんば歩きという言葉は、現在ではずいぶんポピュラーになったと思う。私がこの言葉を知ったのは2003年、2度目の留学から帰国して、ふと買った甲野善紀の本を読んでからなのだが、それよりずっと以前からも、武智鉄二なんかがなんばについていろいろと語っている。なんばとは、右足を前に出すときに右半身が、左足を出すときには左半身がついていく歩き方で、その結果、右足と右手が、左足と左足が同時に出ることになる。昔の日本人はこういう歩き方をしていたのだが、明治以降の学校教育の中で、西洋式で軍隊的な歩き方が指導されるようになると、このような伝統的な身体遣いが失われてきたとされる。
私がなんばという語に反応したのは、私自身が歩き方を矯正されたときのことが記憶に蘇ってきたからでもある。小学校1年生のとき、運動会を目前に控えて学年で入場行進の練習をしていたとき、教頭先生が、○○市(私が住んでいる市)の子らは田舎者で歩き方も知らん、右手と右足が一緒に出よる、と言ったのだった。そのあと、足とは逆の手を振り出すようにずいぶんと練習させられたことを覚えている。確かにこの時点では、私を含めた子供たちにとって、右手左足が同時に出る歩き方というのは、まだ普通の歩き方ではなかった。だから、この歩き方は、学校で練習をさせられた結果身についたものだとはっきり言える。その教頭は隣市から来ていて、何かというと、○○市の子らは…と下に見た言い方をする人だった。子供心にもその隣市のほうが都会のように思っていたので(いま思うと、全然そんなことはない!)、ああ、右手右足が出る歩き方は恥ずかしいんだ、という価値観とともに歩き方が刷り込まれてしまい、その後長らくその是非を疑うこともなかった。
また、着物を着たときにはそんな風に歩いていないということにも、甲野さんの本を読むまでは無自覚だった。考えてみたら、着物を着てお茶席を歩くときには手は振らず、太もものに手を添えるような形で、したがって右足が出たら右半身が出るようにちゃんと歩いていたのだが。
ジャワ舞踊でも、右足が出たら右半身が出るように歩く。ジャワ舞踊にはラントヨという基本練習がある。4拍で一歩進むという歩き方に合わせて、手の動きのバリエーションと、動きのつなぎ方の練習をする。けれど、ラントヨの基本は、手の動きなどの部分にあるのではなくて、歩く練習にあると私は思っている。このラントヨでは、右足を前に出すときに、右手を振り出したり、両手を振り出したりする。だからやっぱりなんば歩きになっている。ジャワ舞踊を通じてラントヨの歩き方で歩くシーンというのはほとんどないから、ラントヨは舞踊の実践稽古ではなくて、半身ごとに動くという身体遣いを練習させるものなのだ。男性舞踊の戦いのシーンでの身体捌きを見ると、なんばの身体遣いが、よりよく分かる。自分の右足が前に出れば、右半身も前に出て、その結果剣を持つ右手が伸びて、相手の右側の虚空を突くことになる。
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実は一昨年(2008年度)1年間、中学校の先生をやっていた。秋の運動会のシーズンとなり、全校生徒による入場行進の練習があった日のこと。体育の先生が、一、二、一、二、腕を振れ、腿を高く上げろ、右手・左足、左手・右足…と号令をかけていく。私も生徒の横を一緒に歩いたのだが、手を振って歩くことをいつの間にかしなくなっていた私には、腕を振って歩くことがひどく大変で、おまけに手を振ると、右手右足、左手左足が同時に出る歩き方になってしまう。生徒の手前、右手左足の歩き方に変えようと必死にはなるのだが、普段やっていないことだから、頭では分かっていても、全然体がついてこない。生徒の方は単にだらだらと歩いているだけで、ちゃんと習慣化した、右手左足の出る歩き方になっている。私の方が逆に、先生、ちゃんと歩けてないよと生徒に言われるしまつだった。ジャワ行きを経て、私の歩き方は先祖返りとまではいかないが、学校に上がる以前の段階に返ったらしい。
自分自身がこういう経験をしてきたので、あらためて学校教育の威力と怖さをつくづくと感じてしまう。小学校1年で矯正され、かつ強制された歩き方は、その後の人生の中で当たり前のものとなってしまい、無意識化されてしまう。けれど、私自身がその呪縛から解けてみて分かったように、歩き方というのは文化であって、文化ごとにいろんな歩き方があり、また目的によっても歩き方は変わる。日本では長らく武術だとか伝統舞踊だとかが作り出す身体が等閑視され、学校教育だけが是とされてきた。いざ自分が先生をやってみると、お上が是とするものを強制することに非常なストレスを感じてしまう(先生は向かない?)。明治になって、学校教育でこういう歩き方を教えられた人達は、私よりもっと強いストレスを感じなかったんだろうか。